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高野山 奥院地区
世界遺産奥院地区の紹介です。

高野山 奥院地区_c0119036_2015944.jpgおなじみ和歌山県朝日夕陽百選【奥の院】
高野山 奥院地区_c0119036_2021833.jpg奥の院の正式な入口一の橋




高野山 奥院地区_c0119036_2044249.jpg松平秀康及び同母霊屋
【世界遺産、重要文化財】


高野山霊宝館のホームページにはこうあります。
重文|秀康霊屋|一棟|(付属宝篋印塔 五基)|蓮花院
同母霊屋|一棟|(付属宝篋印塔 二基)|昭和40年5月29日指定

 この書き方っておかしくない?「蓮花院」て書いてあったら蓮花院にあるもんやと思いません。
 実際には奥の院の墓地にあるのに。
 蓮華院にいったら何もあらへん。観光案内所に聞いたところ「塔頭寺院にあるものは一般公開されていない」という回答だった。
 
 いやいや、奥の院にあるんやろ。きちっと勉強せな。世界遺産の記念工作物やで。どこにあるかぐらい説明できんでどうする!!
 たまたま写真にとったけど、佐竹義重霊屋(これも記念工作物)は見損なった。(これが世界遺産の記念工作物やというのはかえってきてから初めて知った。)

 高野山のパンフレットは不親切。世界遺産の記念工作物ですよ!!
 パンフレットにそう記載してしかるべきだが、佐竹義重供養塔と記載してあったり、そもそも記載していないものまである。

 奥の院にある世界遺産の記念工作物は4つ。
 佐竹義重霊屋
 上杉謙信霊屋  
 松平秀康及び同母霊屋 
 奥院経蔵
 すべて国の重要文化財でもある。
 松平秀康及び同母霊屋以外の霊屋(供養塔、墓)は参道沿いにはないのでご注意を。
 また奥院経堂は弘法大師御廟の右に建っています。

 文句はここまでにして
 松平秀康とは結城秀康のこと。というか結城秀康というほうがメジャー。徳川家康の次男で2代将軍秀忠の兄。
 向って右が結城秀康を祀る霊屋、慶長12年(1607年)、秀康の嫡男忠直の造立。
 左は秀康の母(お万の方・長勝院)のため、慶長9年(1604年)に秀康によって造立。
 二棟とも越前産の笏谷石を用いており、秀康霊屋は入母屋造、正面軒唐破風附とし、母の霊屋は、切妻造、妻入となっている。

 なお、秀康霊屋内には宝篋印塔(ほうきょういんとう)五基が、母の霊屋内には宝篋印塔二基と五輪塔が納められています。

高野山 奥院地区_c0119036_20445586.jpg上杉謙信霊屋
【世界遺産、重要文化財】

 上杉謙信、景勝の廟墓。謙信の名は天正2年(1574年)、45歳で上洛した時、高野山にも訪れ、その折、贈られた法名であるといわれる。 位牌刻銘には次のように記されている。
(右)為権大僧都法印謙信
(左)為権大僧都法印宗心

 建物の建立年代は、江戸初期頃の建立と推測されている。小規模ながら、霊屋としては古い方に属するもので、内部は格天井を張り、須弥壇上には二基の石碑が納められている。



高野山 奥院地区_c0119036_2023948.jpg中の橋の参道

 高野山には何度も行ってますが恥ずかしながらここからしか入ったことがありませんでした。

高野山 奥院地区_c0119036_203070.jpg奥の院は高い杉に阻まれ日光が差し込まず、雪がかなり残っていました。寒かったです。


高野山 奥院地区_c0119036_203938.jpg中の橋とあせかき地蔵

 あせかき地蔵尊は、常に人々の犯した罪に苦しみ、その苦しみを慈悲によって代わって受けて、それで汗を流しているとのこと。実際にツユが吹いて、汗が流れているように見える時があるらしい。 
 傍らに、水面に自らの影が映らなければ3年の命であるという「姿見の井戸(影うつし井・薬井)」がある。

高野山 奥院地区_c0119036_22483985.jpg20町石


高野山 奥院地区_c0119036_2031882.jpg
高野山 奥院地区_c0119036_2032876.jpg
高野山 奥院地区_c0119036_2033850.jpg御供所

高野山 奥院地区_c0119036_2034878.jpg手水舎

 凍ってまっせ。

高野山 奥院地区_c0119036_203572.jpg護摩堂

高野山 奥院地区_c0119036_2051871.jpg水向地蔵

 やっぱり平日はいいですね。特に冬場は。人がいませんから。。。。


高野山 奥院地区_c0119036_2333121.jpg御廟橋(みみょうのはし)

 御廟橋から奥は、特に浄域とされており、写真撮影や喫煙、飲食などは禁止。
高野山 奥院地区_c0119036_204217.jpg玉川

 本来は御廟橋の下に流れる玉川で手足を清めて、奥へと進んだ。

高野山 奥院地区_c0119036_23481499.jpg燈篭堂

 燈篭堂の奥に大師御廟(ごびょう)があり、その右に経堂があります。
 御廟は大師信仰の中心聖地です。転軸、楊柳、摩尼の三山に囲まれた台地にあります。
 大師御入定前、この地を入定留身の地として自ら定められ、御入定後弟子たちは、この地の定窟に、生身と全く変わらない定身を収め、その上に三間四面の廟宇を建て、日々のお給仕をたやさなかったと記録されています。

 奥の院の経堂は前述したように世界遺産の記念工作物で、国の重要文化財でもあります。
 石田三成が母親の供養のために寄進した経典の収蔵庫です。写真撮影禁止。
 

高野山 奥院地区_c0119036_2054197.jpg芭蕉句碑

父母の しきりに恋し 雉子の声

高野山 奥院地区_c0119036_206222.jpg平和橋と英霊殿
高野山 奥院地区_c0119036_2061375.jpg
by von-braun | 2008-03-11 00:10 | 和歌山
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