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田辺の花火大会
今年も10月2日、季節外れの花火大会です。
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2尺玉
画面に入りきりませんでした。

なので。。。
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だいぶひきで撮りました。

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by von-braun | 2010-10-15 00:06 | 和歌山
弁慶祭
10月4日
3日の雨もウソのように、4日は快晴。
本日は弁慶祭メインの日。今年で23回目という比較的新しい祭りです。
一日中よさこい踊りが市内各所で踊られています。
eos7Dの試写も兼ねて行って参りました。
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3時からは大通りで弁慶ゲタ踊り
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団体名を書いたプラカードを持つのは弁慶が多いので、何人もの弁慶がいます。
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JA紀南のマスコット、うめっぴとみかっぴ
本年6月に着ぐるみが完成したようです。
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紀州弁慶よさこい踊り
大通りパレード
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平成10年から導入
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本場高知のよさこい踊りも戦後、徳島の阿波踊りに対抗するために開催されたので、歴史があるとはいえませんが。
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どちらかといえばサンバのほうがいいかも。。。。。
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夜は第41回 田辺花火大会
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c0119036_0394838.jpg二尺玉と月
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本日は中秋の名月。旧暦の8月15日です。
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フィナーレ
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シャッタースピードを落としました。
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躍動感が出てるかな?
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eos7Dを購入しましたが、システムに重大な欠陥が。。。。。。
パソコンの動きが遅い。。。。。。。。。。

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by von-braun | 2009-10-06 01:12 | 和歌山
南紀の夏
8月15日
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田辺扇ヶ浜海水浴場
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白良浜
扇ヶ浜も人が増えてきたとはいえ、白良浜とは雲泥の差。
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c0119036_21242536.jpg御船足湯

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熊野三所神社
斉明天皇の行幸地である腰掛石を磐座として文禄4(1595)年に勧請し、三社権現社として崇敬され、熊野本宮大社、熊野速玉神社、熊野那智大社の参拝に替えたと口伝された。
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末社 西宮白浜恵美寿神社
ご祭神 蛭児大神
御創建 昭和48年7月兵庫県西宮市西宮神社より御分祀される。

なぜ。。。?

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白良浜に隣接しています。
c0119036_21245119.jpg花火の準備

7月18日(土)~8月25日(火)の間メッセージ花火が打ち上げられます。

南紀白浜温泉2009年 メッセージ花火
恋人への思い切ったプロポーズ、両親への感謝の気持ち・・・など、明るい内容なら、なんでもOK! あなたのメッセージを白良浜のスピーカーとFM放送でオンエアされた直後に、打ち上げ花火がドカンと夜空を彩ります。

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綱不知
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夜に再度白良浜に行きました。
本日はキャンドルイルミネーションもしています。
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メッセージ花火
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メッセージ花火とキャンドルイルミネーション

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by von-braun | 2009-09-20 22:35 | 和歌山
精霊供養花火
8月12日

山の上から田辺の花火祭り(精霊供養花火)
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例年8月10日に行われる白浜の花火大会が12日に延期。
田辺より早く始まり、田辺が終わった後もしばらくしていました。

かなしい。。。。

まあ、田辺の花火大会は10月ですから。。。。。

寒いっ!ちゅうねん!!

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by von-braun | 2009-09-18 00:48 | 和歌山
熊本市2 九州旅行5
14:00市内を離れ金峰山方面へ

宮本武蔵が籠って五輪書をかいたという霊巌洞へ行きます。

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岩戸の里公園には武蔵の巨大坐像があります。
頭デカすぎやろ!
徒歩数分ということなので、ここに車を止めて歩きます。
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曹洞宗雲巌禅寺
300円払って奥へ進むと五百羅漢があります。
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五百羅漢
1779年熊本の商人、淵田屋儀平が24年の歳月をかけて奉納したもので、どれ一つとして同じ表情はないとのこと。知人に似た顔が必ずあるといわれている。
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霊巌洞
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千数百年前から祀られていた、石体四面の馬頭観音、通称岩戸観音が安置されています。宮本武蔵が五輪乃書を書いたのもこの洞窟。
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15:20 金峰山頂上に向かいます。
景色がいいらしい。
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金峰山頂上より雲仙
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宇土半島、天草方面
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頂上にある金峰山神社(蔵王権現社)があります。金峰山は昔は飽田山(あきたやま)と呼ばれていたようですが、832年に淳和天皇が奈良県の金峰山蔵王権現を勧請なされてから、金峰山と改称されたと伝えてられています。
奈良の吉野で蔵王権現を祭っているのは金峯山寺(きんぷせんじ)なんやけどな。。。。。 「きんぽう」ではないし、「峰」ではなく「峯」なんですけど本家は。
金峯山寺はこちら
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熊本市方面
熊本って結構土地余ってますな。市街を離れると農地が目立ちます。
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中央緑の部分が熊本城
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熊本城
わかります?
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ヴィーナスブリッジよろしく南京錠が。。。

15:50 そろそろホテルへ行くか。

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路面電車
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16:20ホテル到着
2日目のホテルは綺麗でした。
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商店街
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郷土料理が食べられるというお店へ

でもちょっと早いので再度熊本城へ

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備前掘と飯田丸五階櫓
熊本城の堀で水堀はここだけ。
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長塀
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タコステーキ、山うに豆腐、一文字ぐるぐる、辛子れんこん、タテガミのセット
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チリトリ鍋
特に熊本名物でもなさそうだが、おいしそうだったので頼みました。

食後に熊本城の夜景を撮影に行きました。
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宇土櫓
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宇土櫓
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大天守
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熊本でも花火大会やってました。
この日山都町で火伏地蔵祭納涼花火大会をやってたらしいが、車で1時間かかるとこなんですが、見えるんでしょうか市内から。。。。

次は通潤橋など

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by von-braun | 2009-09-07 01:33 | 九州・沖縄
熊本市1(熊本城) 九州旅行4
伊丹からいよいよ熊本へ向かいます。

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7:05
空港のトイレで
赤ちゃん用のシートがあるのはいいんやけど、近くに手洗うとこないやん。
ということはや、大腸菌がいっぱいの手でベルトをはずしているわけや。
キタネ~

伊丹7:30-熊本8:35の便で熊本へ
9:30頃熊本城に到着
これで日本三名城(名古屋、大坂、熊本)は全部行ったことになります。大坂城が姫路城であったとしても全部行ったことになります。
二の丸駐車場に駐車していざ熊本城へ!
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左端の櫓が戌亥櫓
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西大手門
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西出丸と戌亥櫓
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南大手門
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奉行丸と未申櫓
c0119036_2342356.jpg熊本城天守閣
日本三名城のひとつ熊本城は、築城の名手でもあった加藤清正が、慶長6年(1601年 諸説あり)から7年の歳月をかけてで築城したものです。
大小天守閣をはじめ、櫓49、櫓門18、城門29を数え、城郭の広さは約98ha、周囲約5.3kmにも及ぶ。
清正流石垣と呼ばれる優美な石垣と、自然の地形を巧みに利用した高度な築城技術で知られています。
加藤家2代、細川家11代の居城として続いた後、明治になり廃城となりました。
西南戦争では薩摩の大軍を迎えて、50余日の籠城に耐え、不落の名城として真価を発揮しましたが、総攻撃の3日前、原因不明の火事により天守閣や本丸御殿など主要な建物を焼失してしまいました。
焼失を免れた宇土櫓など13棟の建造物が国の重要文化財に指定されています。
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首掛け石
熊本城築城の折、横手の五郎という怪力無双の若者が花岡山から首にかけて運んできた石と伝えられ、重さは1800kgあります。五郎は天草国人一揆の際に、加藤清正と一騎打ちの末に殺された木山弾正の遺児で、清正を父の仇と狙い、城内に人夫として入り込んでいましたが、見破られ殺されたと伝えられています。
五郎は殺されるとき井戸に落とされて、上から大石を投げ込まれますが、次々と石を受け止めこれを足場にして、どんどん上へ登ってきます。一計を案じた家臣が砂を流し込んでやっと生き埋めにしました。その後いろんなたたりが続いたので、横手村に祠を造り、横手大明神として祀られたそうです。
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大天守と小天守
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宇土櫓(国指定重要文化財)
本丸の西北隅、20mの高石垣の上に建つ3層5階地下1階、地上約19mの櫓で、天守並みの構造と大きさを誇ります。熊本城には天守とは別に、この規模の五階櫓が明治初年まで5棟(築城当時は6棟)存在しました。
宇土櫓の名前の由来は宇土の小西行長が関ヶ原で滅んだ後、小西の家臣の一部を清正が召し抱え、櫓をこの一団に管理させたことから、こう呼ばれたのではないかと言われています。
かつては宇土城天守閣を移築したとの説がありましたが、平成元年の解体修理の際にその痕跡が見つからなかったので、現在は否定されています。
宇土櫓の屋根には鯱が乗り、大小天守閣と並んで三の天守と呼ばれることもありますが、この鯱は旧来からあったものではなく、昭和2年(1927年)に陸軍が解体修理した際に城内に保管してあった鯱を取り付けたものです。この鯱は青銅製で高96cm、重さ約60kgあります。
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宇土櫓内部
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宇土櫓内部
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宇土櫓内部
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宇土櫓階段
城の階段って急ですな。
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宇土櫓
c0119036_2384145.jpg清正は文禄・慶長の役のとき、蔚山城で明・朝鮮連合軍を相手に、「泥水をすすり、死馬の肉を喰らう」という苦しい籠城戦を体験しました。その経験から熊本城を築城するにあたり、籠城の備えを万全にしました。井戸もそのひとつで城内に120以上掘られたと言われています。また、大量の米や海草の干物などを櫓に蓄え、薪にするため成長の早いエノキやムクなどをたくさん植えたと言われています。
確かに井戸は多かった。

c0119036_2384783.jpg熊本城の石垣は「清正流石垣」「扇の勾配」「武者返しの石垣」などと称されます。清正は穴生衆と呼ばれる近江の石工集団を使い石垣を積んだと言われています。その技法は「打ち込みハギ」と呼ばれ、石を叩いて積みやすく加工し、石と石の間には割り石を打ち込みより堅牢になるように、また手がかりを少なくし登りにくくする工夫をした積み方です。
大小天守の石垣の境目をよく見ると、小天守石垣は大天守石垣に寄りかかっているのがわかります。つまり大天守の石垣が完成したあとに小天守の石垣が積まれているのです。
また大小天守の石垣の曲線を比較すると、小天守の方が急な角度で立ち上がっています。両者の隅石(角の石)を比べると、大天守が同じ位の大きさの石を積んでいるのに対し、小天守は長方形の石を交互に積んでいます。これを算木(さんぎ)積みと言い、より急角度な石垣を積むことができるのです。1600年前後は全国的な築城ブームで、飛躍的に技術革新が進みました。つまり大天守成立後、小天守増築までの間に算木積みが開発されたのです。

c0119036_2385462.jpg熊本城は別名「銀杏城」といい、その名前はこの大銀杏に由来します。築城の際、清正が植えたと伝えられ、また、亡くなるときに、「この銀杏の木が天守閣と同じ高さとなったときに、何か異変が起こるであろう」と予言し、それが奇しくも明治10年(1877年)の西南戦争のときであったとも言われています。
清正は銀杏の実を食料とするために、この木を植えたとよく言われますが、残念ながらこの木は雄の木で実はつけません。
現在の木は西南戦争で燃えたあとに、芽吹いた脇芽が成長したもので、130年でこれだけの大きさに成長しました。

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本丸御殿内の模型
往時の本丸御殿には、藩主の居間、対面所(接客の場)や台所等の機能が備わっていましたが、大広間(対面所)、数寄屋(茶室)と大御台所が復元されています。
復元費用は建築面積:約2,161平方メートル。建築費:約41億8千万円。(発掘調査、設計等を含めた総事業費:約54億円)
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式臺之間から若松之間を望
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若松之間
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昭君之間
熊本城本丸御殿は畳数1570畳、部屋数53もある建物群でした。その中でもひときわ大きい建物が本丸御殿大広間で、ここは藩主の居間として使われたり、部下と対面する場所でもありました。大広間にはたくさんの部屋がありましたが、なかでも一番格式の高い部屋が「昭君の間(しょうくんのま)」と呼ばれる部屋です。この部屋には、中国の漢の時代のお話で、胡の国に送られた絶世の美女、王昭君の物語が描かれていました。
「昭君の間」は実は「将軍の間」の隠語であるという説もあります。加藤清正は豊臣秀吉子飼いの武将。その遺児である秀頼に万が一のときは、清正にはこの熊本城に秀頼を迎え入れ、西国武将を率いて徳川に背く覚悟があった。その際の秀頼のための部屋が「昭君の間」という説もあります。
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昭君之間の天井c0119036_2394079.jpg本丸からの大天守、小天守

c0119036_239476.jpg大天守を見上げる
c0119036_231017.jpgさてと、天守にでも登りましょうか。
左は蛇の目紋、右桔梗紋

加藤家の紋はもともと蛇の目紋。
清正が肥後に赴くにあたり、秀吉は前年に改易した讃岐の尾藤知定の武具・調度一切を清正に与えました。侍大将から領主への大出世ですが、それに相応しい兵力も道具も当然不足します。秀吉が親心から配慮したものでしょう。
その尾藤家の紋が「桔梗」。清正は桔梗紋の入った武具・調度をそのまま使い、自分の家紋にしたのです。また、清正は旧尾藤家の家臣300名余りを、自分の家臣として召し抱えていましたので、彼等も誇りを傷つけられることなく存分に働いたと言われています。

c0119036_23514240.jpg大天守内の階段

再建の大天守にはあまり興味がないが、登らねばならぬわけがある。

国指定重要文化財 細川家舟屋形があるからです。
旧肥後藩主細川氏が参勤交代のとき使用した御座船「波奈之丸」の、藩主の居間部分である。波奈之丸ははじめ細川忠興が豊前中津に在城した頃につくられ、以後何度も造り替えられたが、現存するものは天保10年(1839)に建造された第6代目である。明治4年の廃藩によって廃船となったとき、藩主の居間部分だけが保存され、数次の変遷を経て昭和38年再建天守閣内に収まった。舟屋形は一重二階建で、一階は主室と次の間に分れ主室は畳敷き、二階は板敷き一室である。一階の壁面は大和絵の山水、格天井は華麗な装飾画で飾られており、福田太華の画くところとされている。

残念ながら撮影は禁止

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大天守から本丸御殿
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大天守から宇土櫓
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宇土櫓
c0119036_23521185.jpgカキ氷を食べました。
熊本名物いきなり団子がのっています。

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地図石
「打ち込みハギ」と呼ばれる方法で築かれた熊本城の石組みの中で、ここだけは特異な石の組み方をしてあります。表面を平らに加工し、隙間なく組み合わされた構図から「地図石」と古くから呼ばれてきました。熊本城の縄張りを表すとも、日本の地図とも、また熊本の城下町の地図とも言われてきましたが、明和6年(1769年)に描かれた絵図には「御待合」と記されています。つまりここは来客を遊興の場である数寄屋丸へ案内するための待合所であったという説です。
また石が99個使われていることから、城の長寿を願ったまじないという人もいます。
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地蔵石
地蔵石と呼ばれるこの板碑は、ここにあった櫓門の礎石に使われていたと言われています。柱の下に線刻された仏像の一部が見えていたので、この櫓門は地蔵櫓門と呼ばれていました。

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数寄屋丸横の石段の下から6段目には梵字を刻んだ石を見ることができます。
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アップ

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飯田丸五階櫓
熊本城の本丸は「天守台」「平左衛門丸」「数寄屋丸」「飯田丸」「東竹の丸」「竹の丸」「西出丸」に分けることができます。
飯田丸の南西隅に建つ五階建ての櫓が「飯田丸五階櫓」です。飯田丸の名称は加藤清正の重臣、飯田覚兵衛が管理していたことから、こう呼ばれるようになりました。熊本城南面防衛の要であり、櫓と塀で囲い込まれ、内部には井戸や台所、鉄砲蔵までも設けられています。西面には西櫓門を備え、出撃することも可能です。つまり飯田丸だけでも小さな城の機能を持っているのです。その小さなお城の天守閣の役目を果たすのが飯田丸五階櫓だったのです。
明治になり熊本城に鎮台が置かれると、「不要建物」として取り壊されてしまいましたが、その優美な姿は古写真に残され、多くの市民が復元を望み、平成17年に復元が完成しました。

c0119036_23523895.jpg二様の石垣
熊本城の石垣は全て「打ち込みハギ」という工法で積まれています。この二様の石垣は同じ打ち込みハギでも隅石(石垣の角)の積み方に違いがあります。
傾斜の緩い方は同じような大きさの隅石を使っており、築城初期のものと思われ、傾斜が急な外側の石垣は、長方体の石の長辺と短辺を交互に組み合わせることにより、より急な角度を出すことができる「算木積み」という工法が開発された後のものです。
この違いは大小天守の石垣、竹の丸からの登り口にある元札櫓門跡の石垣に見ることができます。
ちなみに二様の石垣の外側は、細川忠利の代に本丸御殿増築の際、積み足したものです。

c0119036_23525178.jpg二様の石垣


c0119036_23531167.jpg本丸
再度数奇屋丸に戻って重要文化財の櫓群を目指す。
戻らなくても行けるのですがせっかくなので通ってないところを通りたい。
その際青空に天守が映えていたので撮影。
でも本丸に行くこのスロープ。便利やけど邪魔。こういう近代的なものは解体していただきたい。少々遠回りでも昔からの道をいこうぜ。

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闇り通路
本丸御殿の地下です。
本丸御殿は2つの石垣を跨ぐように建っているため、地下通路を有する特異な構造となっています。その地下通路は昼間でも暗いことから、闇り通路と呼ばれています。闇り通路の入り口は闇り御門と呼ばれ、その上部の屋根は唐破風となっています。
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不開門(国指定重要文化財)
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不開門
この門は城の鬼門である北東に位置します。昔の陰陽道ではこの方角は塞いでも、開け放してもいけないとされ、門は造るが普段は閉ざし、不浄なものを運ぶときだけこの門を開いたと言われています。
現在は入城口として使用しており、伝統工芸館への近道です。国の重要文化財に指定されています。

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五間櫓(国指定重要文化財)
熊本城本丸内東竹の丸には、高石垣の上に西南戦争の火災にも焼け残った櫓が建ち並び、国指定の重要文化財に指定されています。
櫓は古くは「矢倉」と書き、武器庫から発展したものです。ここの櫓も普段は倉庫として使われていたと思われますが、外側には「石落し」や「狭間」があり、いざというときには戦える構造となっています。
また、熊本城の櫓の名称は単に大きさによって「七間櫓」や「十四間櫓」と呼ばれるものや、管理していた人の名前に由来する「源乃進櫓」「宇土櫓」など、また建っている方角により「戌亥櫓」「未申櫓」と呼ばれるものなどがあります。中には「田子櫓」のように収納していた木製の容器の名前がついた櫓もあります。
なお、熊本城ではこの東竹の丸の櫓群以外にも「宇土櫓」「長塀」「監物櫓」が国の重要文化財に指定されています。
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五間櫓と北十八間櫓(国指定重要文化財)
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北十八間櫓(国指定重要文化財)
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北十八間櫓と東十八間櫓(国指定重要文化財)
屋根が高い方が東十八間櫓
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東十八間櫓(国指定重要文化財)
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平櫓(国指定重要文化財)
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源之進櫓(国指定重要文化財)
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四間櫓と十四間櫓(国指定重要文化財)
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十四間櫓、七間櫓と田子櫓(国指定重要文化財)
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源之進櫓と四間櫓、十四間櫓、七間櫓と田子櫓
源之進櫓以外は繋がっています。中で繋がっているかどうかは知りませんが。
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しかしまあ、この辺は空いていますな。昨年度の入城者は熊本城がトップだったらしいけど。。。。。
確かに大天守は混んでいました。本丸御殿も混んでました。
でも、あんたら何しにきたん?
再建した建物だけ見て帰るんかい!
もっと勉強してから来いよ。
この櫓の方が価値あんねんで。重要文化財やねんで!
c0119036_23292370.jpg二様の石垣と大天守

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これって石垣つくってさらに拡充したように思うんですが、何の説明もありませんでした。
c0119036_233218100.jpg竹の丸から飯田丸五階櫓

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竹の丸から飯田丸五階櫓
c0119036_23324246.jpg竹の丸から大天守
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東の平御櫓から西の馬具櫓まで約242mの塀が続いています。現存する城郭の塀の中では最長を誇ります。白漆喰に黒の下見板を張り、桟瓦(さんがわら)が乗っています。内側には凝灰岩の控え柱が立ち貫で固定してあります。
過去に何度も修理が行われていますが、いつの時代かの修理の際に、石落としや狭間が失われてしまいました。平成3年の台風19号により約140mに渡り倒壊し、その後の修理でも石落としや狭間の詳細な位置や数が不明なため、旧状に復することなく現在に至っています。
春には、塀の内側から桜の花が川面に映り、また、秋のお城まつりでは長塀前河川敷で、県指定重要無形文化財に指定されている武田流騎射流鏑馬の披露が行なわれます。
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竹の丸より源之進丸(国指定重要文化財)
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竹の丸より国指定重要文化財の櫓群
c0119036_23331741.jpg東十八間櫓(国指定重要文化財)
c0119036_23334341.jpg再度戻ってきて大天守

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宇土櫓(国指定重要文化財)
c0119036_2334199.jpg宇土櫓(国指定重要文化財)

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加藤神社
明治4年(1871年)の神仏分離令により、本妙寺から移されて、城内の宇土櫓前に創建された神社です。錦山神社が正式な名称ですが、ご祭神が加藤清正公であることから、一般に加藤神社と呼ばれています。明治7年(1874年)に熊本鎮台が城内に置かれたことから、城外に遷座しますが、昭和37年(1962年)道路改修のため再び城内の現在地に遷宮しました。
清正に殉死した大木兼能、朝鮮人の金宦を合祀しています。
c0119036_23343854.jpg加藤神社より宇土櫓
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加藤神社
重文で監物櫓と長塀の外観がまだ写真におさめていないが両方とも歩いていくには遠い。また、12時半近くなったので車で移動し、ついでに昼食をとることに。昼食は熊本ラーメンです。
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監物櫓(国指定重要文化財)
長岡図書、別名細川刑部本邸の中にあったので、「長岡図書預り櫓」と呼ばれていましたが、明治になり陸軍が管理するようになってから、隣の長岡監物邸と取り違えて「監物櫓」と登録してしまい、それが定着してしまったものです。
監物台樹木園の中にあります。
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るるぶ九州ベストセレクト'10に載っていた元祖熊本ラーメンこだいこへ。うちの下の子はお気に召さないようでしたが、おいしかったです。下の子はしょうゆか塩しかよう食べへんのですわ。
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ちょっと戻って坪井川沿いへ。
ここからは重文の長塀がよく見えます。
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c0119036_23353732.jpg加藤清正公銅像
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うまや橋方面から長塀


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by von-braun | 2009-09-04 00:41 | 九州・沖縄
豊中 九州旅行3
ホテルは豊中のホテル。
かなり古い。
ガムテープで修理してるし。。。。
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駅の近くのMolto Buonoで夕食
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カルボナーラ
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わさび味のパスタ
初めてでしたが、わさびがきいていてけっこうイケました。
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マルゲリータ
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伊丹の花火大会でホテルの非常階段から見えました。
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次はいよいよ九州へ旅立ちます。

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by von-braun | 2009-09-02 22:23 | 近畿
田辺花火大会
 季節はずれの花火大会にいってきました。
 弁慶祭りとともに開催される田辺花火大会です。
 少々肌寒い気もしますが。。。。 まあ秋のほうが空気が澄んでいるし風もあるので花火には向いているのかも。。。。。
 今年は去年にくらべカラフルになったような気がしました。
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二尺玉。。。。やと思う。
 今年の目玉は県内唯一の二尺玉!!  直径480mまで広がるとのこと。
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by von-braun | 2008-10-06 20:23 | 和歌山
精霊供養花火
 8月12日はながらく田辺花火大会の日だったのですが、資金難のため、平成17年の市町村合併以来、秋の弁慶祭りの日に移動してしまいました。
 しかし、そのかわりに、「扇ヶ浜の夕べ」なる催しものができまして、そこで精霊供養花火をうちあげるというなんともややこしいことになっております。そんなんだったら8月に花火大会戻せ!10月は寒いんじゃ!!と思うのですが。。。。。
 今日は15分で1500発あげるというので扇ヶ浜にいってきました。
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 夜店も出てました。

 でも15分は短いなあ~
 そういや最近白浜の花火大会いってないなあ~
 あそこ混雑するから結構体力使うんです。。。 田辺から見えんこともないし。。。。
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by von-braun | 2008-08-12 23:39 | 和歌山
花火大会
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 花火大会

 子供が怖がりました。やはり音がこわいようです。


2003.8.12
power shot S50
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by Von-Braun | 2007-03-22 02:52 | 和歌山