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古都奈良の文化財
古都奈良の文化財2 東大寺(大仏殿)
古都奈良の文化財3 東大寺転害門・二月堂周辺
古都奈良の文化財4
古都奈良の文化財5 春日大社
古都奈良の文化財6 新薬師寺
古都奈良の文化財7 元興寺・ならまち周辺
古都奈良の文化財8 興福寺・奈良女・平城宮跡・夜景
古都奈良の文化財9 薬師寺
古都奈良の文化財10 唐招提寺
古都奈良の文化財11 平城宮跡・東院庭園・宇奈多理坐高御魂神社・法華寺・海龍王寺
古都奈良の文化財12 不退寺・興福院・般若寺・春日大社摂社若宮神社・蓮長寺
古都奈良の文化財13 東大寺五輪塔・圓成寺
UPしました。
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by Von-Braun | 2012-12-18 23:47 | 近畿
我孫子市と東京スカイツリー
我孫子市の杉村楚人冠記念館、志賀直哉書斎東京スカイツリーの写真をUPしました。
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by Von-Braun | 2012-06-02 22:49 | 関東
東京スカイツリー
日光の記事が終わってませんが、その後もいろいろ行っているんですよね。
東京スカイツリーを中心に徘徊したときの様子など。
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東京スカイツリー
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バンダイ本社前
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by Von-Braun | 2011-11-22 23:58 | 関東
日光東照宮 陽明門
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陽明門【国宝】

名称: 東照宮陽明門
ふりがな: とうしょうぐうようめいもん
員数: 1棟
種別: 近世以前/神社
時代: 江戸前期
年代: 寛永13
西暦: 1636
構造及び形式等: 三間一戸楼門、入母屋造、四方軒唐破風付、銅瓦葺、左右袖壁付
指定番号: 00035
国宝・重文区分: 国宝
重文指定年月日: 1908.08.01(明治41.08.01)
国宝指定年月日: 1951.06.09(昭和26.06.09)
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一日中見ていてもあきないことから「日暮らし門」とも呼ばれる国宝の陽明門。
陽明門は真南を向いて建っている
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東廻廊【国宝】
名称: 東照宮東西廻廊
ふりがな: とうしょうぐうとうざいかいろう
棟名: 東廻廊
ふりがな: ひがしかいろう
員数: 1棟
種別: 近世以前/神社
時代: 江戸前期
年代: 寛永13
西暦: 1636
構造及び形式等: 折曲り延長五十四間、梁間一間、御供所及び同回廊含む
指定番号: 00036
国宝・重文区分: 国宝
重文指定年月日: 1908.08.01(明治41.08.01)
国宝指定年月日: 1951.06.09(昭和26.06.09)

附指定
 附名称: 潜門
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西廻廊【国宝】
名称: 東照宮東西廻廊
ふりがな: とうしょうぐうとうざいかいろう
棟名: 西廻廊
ふりがな: にしかいろう
員数: 1棟
種別: 近世以前/神社
時代: 江戸前期
年代: 寛永13
西暦: 1636
構造及び形式等: 折曲り延長三十六間、梁間一間、各一重、入母屋造、銅瓦葺
指定番号: 00036
国宝・重文区分: 国宝
重文指定年月日: 1908.08.01(明治41.08.01)
国宝指定年月日: 1951.06.09(昭和26.06.09)
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陽明門
陽明門の名称は、宮中(現・京都御所)十二門のうちの東の正門が陽明門で、その名をいただいたと伝えられる。江戸時代初期の彫刻・錺金具-かざりかなぐ-・彩色といった工芸・装飾技術のすべてが陽明門に集約され、その出来栄えは一日中ながめていてもあきないので日暮らし門-ひぐらしもん-とも呼ばれる。
 とりわけ見事なのが、500を超える彫刻の数々だ。中央が盛り上がり、両端が反り返った曲線を特徴とする唐破風-からはふ-の軒下に掲げられた「東照大権現」の額の下で2段に並んでいるのは、上が竜。下はちょっとミステリアスな「息」。「いき」と読むのか「そく」なのか、その読み方すらいまだに不明という。上段の竜との違いは、牙-きば-があってひげがないことと、上くちびるに鼻孔-びこう-があることだ。
額の両横にある彫刻は麒麟。ビールのラベルに描かれた麒麟には体に鱗があるが、東照宮の麒麟には鱗がない。中央部、白塗りの横木(頭貫)に彫られた宙を舞う通称「目貫の竜」の左右に勢ぞろいしているのは竜馬。足に蹄のある竜だ。麒麟によく似ているが、麒麟は1角、竜馬は2角、麒麟は牙を持っているが竜馬には牙がない。さらに、麒麟の蹄は先が2つに割れた偶蹄、竜馬の蹄は割れていない奇蹄。そして、竜馬が竜の一族である証拠に体に鱗が生えている。
東照宮の建物に刻まれた彫刻の総数は5173体。最多は本社の2468体(本殿1439体、拝殿940体、石の間89体)、次いで唐門の611体(7センチ×9センチの小さな花の彫刻が400体もある)、陽明門が3番目で508体。彫刻をテーマで分類すると人物、霊獣・動物、花鳥、地紋(一定の図形が 繰り返される文様)の4つになり、それらが使われている建物や場所に、法則があるという。例えば、人物の彫刻があるのは陽明門と唐門に限られている、霊獣の唐獅子は陽明門に、獏は本殿にそれぞれ集中している、といった具合である。
日光東照宮の建物を代表する陽明門は、高さ11.1メートルの2層造り、正面の長さが7メートル、奥行きが4.4メートル。胡粉(貝殻をすりつぶしてつくった白色の顔料)を塗った12本の柱には、グリ紋と呼ばれる渦巻状の地紋が彫られている。
有名な「魔除けの逆柱」は、門をくぐり終わる左側の柱。グリ紋の向きがこの柱だけ異なっている。
これと同じ逆柱が、本社の拝殿と本殿に1本ずつあることは一般にはあまり知られていないようだ。
グリ紋それ自体に魔除けの意味があるといわれているが、「家を建てるときは瓦3枚残す」という言葉があるように、建物は完成した瞬間から崩壊が始まる。それなら1か所だけ仕様を違え、建物はまだ未完成であると見なし、建物が長持ちするよう願った、という推理もできる。
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陽明門の裏側。陽明門には、霊獣と呼ばれる想像上の動物が194体いる

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by Von-Braun | 2011-09-28 23:54 | 関東
ビーナスライン

松本からビーナスラインを通って帰ります。
10:43松本発
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霧の駅から
霧の駅
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きのこ汁
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富士見台
富士山はま~ったくみえません!
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白樺湖
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白樺湖畔
途中まではずーっと霧の中を走っていました。
13:21白樺湖を発
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14:10諏訪湖SA到着
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by Von-Braun | 2011-09-19 22:49 | 甲信越
松本城
松本城

さて、いよいよ松本城へ登りますか。
天気予報では一番天気が良かったのですが、しつこいようですが、全くあてになりません。最近の予報は。
一番天気が悪く、雨。

少々気落ちしながらも松本城へ。
開城は8時半なので、それまで内堀の周りを歩きました。
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天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓が国宝
城跡は史跡

各部の名称は以下の通り
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創建時の松本城は辰巳附櫓と月見櫓がなく、天守と乾小天守が渡櫓で結ばれた連結式でした。最上階は犬山城のように廻縁がある望楼式天守でしたが、松本は冬季は雪が多く寒いので、役に立たないばかりか、傷みが激しくなる。そこで、廻縁をなくし囲ってしまったといわれています。最上階が不自然に大きいのが分かるでしょうか?
1630年代、城主松平直政は、天守に辰巳附櫓、月見櫓を増築しました。

天守へは渡櫓から入ります。
入り口を入ると乾小天守にまず行きます。
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乾小天守
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天守一階
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松本城は一番城を大事にしているのではないでしょうか。手すりは竹で、くくりつけています。大体は据え付けているんですけどね。大事にしている証拠です。
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天守から月見櫓、辰巳附櫓
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天守から渡櫓、乾小天守
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天守3階
この階は天守二重の屋根裏に設けられているので窓が全くない。明かりは南側千鳥破風の木連格子からわずかに入るだけである。そのため当時は「暗闇重」と呼ばれていた。
外部からの遮蔽が強いので有事には「武者溜」に当てる、との説もあるが普段は倉庫であった。この階から4階への階段は対角線の位置に2箇所ある。
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天守四階の「御座所」
裏から
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天守最上階(6階)
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天守最上階に祀られる守護神「二十六夜神」。
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天守5階
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辰巳付櫓の花頭窓
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月見櫓
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月見櫓から天守
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月見櫓、辰巳付櫓、天守
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月見櫓
左の柵のあるところにかつて水門があった。
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入り口となっている渡櫓
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出口は月見櫓の下。
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乾小天守
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渡櫓
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辰巳付櫓
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天守
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なわて通り
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中町通り

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by Von-Braun | 2011-09-17 21:12 | 甲信越
松本城 夜景
さあ、今回の旅行のメイン
松本城です。
まずは夜景から。
この夜景を撮るため、松本城へ歩いていけるところへ泊まりました。

国宝四城、最後の城です。
学生時代スキーに行く際、何度も外から見ていましたが、ゆっくり見るのは初めてです。
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姫路城はこちら
犬山城はこちら
彦根城はデジタル化前


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by Von-Braun | 2011-09-17 19:24 | 甲信越
御屋敷公園
上田市真田町にある御屋敷公園
その名の通り、上田城を築城する以前の真田氏の居館跡

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御屋敷公園
真田氏館跡は、真田氏の上田城築城以前の居館といわれ、現在でも、「御屋敷」と呼んで親しまれている。
また、中世豪族の居館の形態が、ほぼ完全な形で保存されており、真田氏一族の貴重な遺跡として昭和42年に長野県史跡の指定を受けた。

この館跡は、西方に開いた本原扇状地の奥に位置し、また、真田氏城跡群がこの扇状地を取り囲んで築かれたことからも、堅固な立地を考えて居館としていたことが分かる。

館跡の四方を囲んで築かれた土塁は、周囲520メートル余あり、外周には、堀が巡っていたと推定されている。
とくに北面は、大沢川が天然の堀となって現在も残っている。また、土塁の南面に、大手門、北面に搦手門があり、南東の角にも小規模な門があったといわれている。

土塁の内側は、主に二段の曲輪からなり、東側上段の曲輪には、真田昌幸が上田城に移る際に勧進したと伝えられる皇太神社がまつられている。西側下段の曲輪には、その北西隅に厩と称される約10メートル四方に区画された土塁が見られる。

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西曲輪
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東の土塁

長野県史跡ということだが、なぜマレットゴルフ場になってるの?
ここに作らなくてもいくらでも土地あるやん。
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皇太神社拝殿
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皇太神社本殿


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by Von-Braun | 2011-09-16 21:17
上田城
上田城には行く予定はなかったのですが。。。。。。
やっぱり好きなんですよね真田三代。

上田城は、真田昌幸により、1583(天正11)年に築城された平城。
真田昌幸が二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦が行われたことで有名。
江戸時代には上田藩の藩庁が置かれ、真田氏が信濃国松代へ転封された後は仙石氏が入城し、破却された上田城を現在のような姿に再建した。仙石忠政により、再建された本丸の3棟の櫓(南櫓、北櫓、西櫓)など建物の外壁は煤と柿渋で防水した板を用いた下見板張の黒い外観である。
明治以降は、破却や城外への移築が行われて城内には石垣と櫓が1棟残るのみであったが、昭和期に、移築されていた本丸の櫓2棟が元の位置に復元され、平成期には櫓門や塀などが木造復元されている。

そういえば、真田幸村(信繁)をNHK大河ドラマで!という署名がまわってきていたような。。。。こちら
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上田城
左から南櫓、東虎口櫓門、北櫓
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真田神社
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当社は戦国時代の天正11年(1583)上田にこの平城を築き城下町を造った真田父子を主神とし、江戸時代に民政を尽くした仙石・松平の歴代藩主を祭神とする神社であります。殊に10数倍の大軍を2回に渡り撃退して日本一の知将と謳われた真田幸村の神霊は、今も智恵の神様として崇められています。
真田神社
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こちらのお守りは受験生に人気。2度にわたって徳川家の大軍を敗走させた歴史にちなみ、「落ちない」御守りとして、「不落城」と命名した。
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真田井戸
この井戸からは、抜け穴があって城北の太郎山麓の砦に通じていた。敵に包囲されてもその抜け穴より兵糧を運び入れるにも、城兵の出入りにも不自由しなかったという。
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上田城の堀
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長野県宝 上田城 西櫓

上田城西櫓は、江戸時代初期の寛永3~5年(1626~1628)にかけて真田(さなだ)氏の後に城主となった仙石(せんごく)氏によって建てられ、上田城で建築当初のままに残されている唯一の建物です。
建物の大きさは、1階が桁行(けたゆき)9.85m(5間)、梁間(はりま)7.88m(4間)の大きさで、2階は桁行8.64m、梁間6.66mと少し小さくなっています。
外壁は、雪の多い地方で用いられる腰下見板(こししたみいた)が張られ、壁の上部から軒廻りにかけては防火のために白漆喰(しっくい)で柱などを塗りごめた大壁(おおかべ)造りとなっています。
窓は縦格子(こうし)の付いた突き上げ板戸です。
建物の内部は、中央に丸太材の芯柱が立ち、仙石氏の「仙」の字の焼印が押されています。
壁は柱を残して漆喰を塗った真壁(しんかべ)造りで、幕末期に補強のために取り付けられた筋交(すじかい)が見られます。
屋根は、丸瓦と平瓦で葺(ふ)いた本瓦葺で、鬼瓦には最後の城主となった松平(まつだいら)氏の五三桐紋がついています。
なお、鯱(しゃち)瓦は昭和3年に徴古館(ちょうこかん)として改修された際に寄付されたもので、江戸時代の上田城の櫓には鯱瓦は無かったようです。
西櫓は、上田城本丸の西虎口(こぐち)(出入口)を固める重要な櫓でしたが、戦争のなかった江戸時代には、もっぱら倉庫として使用されていました。
また、櫓の名称も江戸時代には特になく、「西櫓」の名称は、南櫓と北櫓が復元された後につけられた新しい名称です。
上田城西櫓は、昭和18~24年に移築復元された南櫓、北櫓とともに、長野県内では数少ない江戸時代初期の城郭建築の貴重な遺構として、昭和34年に長野県宝に指定されました。

県宝というのは珍しいですね。長野にしかないんと違いますか。
国宝、国指定重要文化財、県宝、県指定重要文化財の順?
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真田石
上田城本丸東虎口櫓門の正面右手の石垣にある.高さ約2.5m・横約3mの大石.真田昌幸が築城の折り柱石として据えたものと伝えられ真田石と呼ばれている.真田信之が松代へ転封に当たって父の形見に持ち運ぼうとしたが、大勢の人の力をもってしてもびくとも動かなかったと伝えられる。

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by Von-Braun | 2011-09-14 19:05 | 甲信越
安楽寺
安楽寺

安楽寺は長野県上田市別所温泉にある曹洞宗の寺院。山号を崇福山と称する。院号は護国院。開山は樵谷惟仙。本尊は釈迦如来。国宝の八角三重塔があることで知られる。
伝承では天平年間(729 - 749年)、行基の建立とも言い、平安時代の天長年間(824 - 834年)の創立とも言うが、鎌倉時代以前の歴史は判然としない。

鎌倉時代の安楽寺は北条氏の庇護を得て栄えたが、室町時代以降衰退し、古い建物は八角三重塔を残すのみである。室町時代、天正8年(1580年)頃、高山順京(こうざんじゅんきょう)によって再興され、以後曹洞宗寺院となっている。
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本堂
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経堂
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八角三重塔(国宝)
塔は本堂の裏を登った山腹にあり、松の緑に映えて、重厚なたたずまいがどっしりと空間を支えている。建立年代は従来鎌倉末期、または室町初期といわれ定説がないが、安楽寺が鎌倉北条氏の外護によって栄えた寺で、開山が入宋僧、二世が中国よりの帰化僧であり、共に北条氏との交渉も深いので、北条氏滅亡後、これほど立派な塔婆の建立の契機を考えにくいことなどから、寺運の最も栄えた鎌倉時代末期に建てられたものと思われる。
建築様式は禅宗様(鎌倉時代に宋から禅宗に伴って伝来した様式で唐様(からよう)ともいう)八角三重塔で、初重に裳階(もこし)(ひさしまたは霜よけの類)をつけた珍しい形式であるうえに細部もまた、禅宗様の形式からなり類例が少ない。
屋根の工事中のためブルーシートで覆われていた。
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左:安楽寺二世 幼牛恵仁和尚像、右:安楽寺開山樵谷惟仙和尚像(共に重要文化財)
恵仁は幼牛と号し、惟仙にしたがって来朝して、安楽寺二代となった中国僧である。この像も墨書銘により、嘉暦4年(1329年・鎌倉時代)に造られたことがしられる。作者名はないが、作風が似ているので、惟仙像と同じ作者と見られ、木像の頂相(ちんそう)彫刻(禅僧の肖像彫刻)としては古い例に属するものである。惟仙像に比べ、この像はやせ型のつつましくも鋭い表情に造られ、両者は同型のものながら、おのおの個性的に表現されていて巧みである。後世のこの種の頂相が徒らに技を弄しているのに比べ、やはり作例は、写実迫真の趣を失わず見事である。

安楽寺開山樵谷惟仙和尚像
惟仙は、樵谷と号した禅僧で、木曽源氏の出自といわれている。鎌倉時代の中期、宋に渡って修学し、寛元4年(1246年・鎌倉時代)鎌倉建長寺開山蘭渓道隆と同船帰朝して後、安楽寺を開いた人である。
この像は胎内墨書銘により、樵谷没後数10年を経たと思われる鎌倉時代末期の嘉暦4年(1329年・鎌倉時代)に造られたことが知られる。作者は大工の兵部という人である。髪をそり、頭をまるめ、微笑をたたえる表情は、いかにも写実的で時代の好みがうかがわれる。肩を豊かに張り、どっしりと安定した容姿は、惟仙生前の面影をよく伝えるものである。

真中は、禅宗寺院には珍しく大日如来像。八角三重塔に安置されているものだが、現在工事中なので、両和尚の間に置かれている。

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by Von-Braun | 2011-09-03 20:02