<   2010年 12月 ( 3 )   > この月の画像一覧
ボア・ハンコック
蛇姫ことボア・ハンコックです。
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もう一個クレーンで穴まで運んだんですが、穴が小さく下に落ちない。店員がケチでOKしてくれなかった。
普通穴まで運んだらOKやろ!

でも子供にイラン!と言われました。

エースはこちら
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by von-braun | 2010-12-17 21:52 | その他
大神神社
明日香に行こうか、大神神社に行こうか迷いましたが、明日香は行ったことがあるので、大神神社に行くことにしました。
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大神神社(おおみわ)です。
大和国一の宮で、我が国最古の神社です。
大己貴神(大国主神)が、 自らの幸魂・奇魂を三輪山にお鎮めになり、大物主神の御名をもってお祀りされたのが大神神社のはじまりです。本殿 は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、三輪山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられています

重要文化財
大神神社 拝殿(附 棟札)
大神神社 三ツ鳥居(附 瑞垣)
大神神社 摂社大直禰子神社社殿

史跡(国指定)
大神神社境内
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夫婦岩
夫婦円満、子授け、縁結び、恋愛成就等に霊験あらたか磐座として信仰をあつめている。
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末社 祓戸神社
祭神:瀬織津姫神・速秋津姫神・気吹戸主神・速佐須良姫神
通常、祓戸大神と称される神々
もろもろの罪穢を祓い除け給う。
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鳥居がしめ縄です。
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拝殿
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現在の拝殿は、寛文4年(1664)徳川4代将軍家綱の造営になり、西向きに建ちます。桁行9間 (21メートル)、梁間4間(8メートル)、正面は三間一面の大向拝がつき、江戸時代を代表する 堂々とした建物で、大正10年に国の重要文化財に指定されました。
拝殿の左右には、2つの建物が付属し、向かって右に勅使殿、左に勤番所があります。(どちらも県指定文化財)
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巳の神杉(みのかみすぎ)
江戸時代には、「雨降杉」とあり、雨乞いの時に里の人々が集まり、この杉にお詣りをしました。いつの時代からか、杉の根本に、巳(み)さん(=蛇)が棲んでいるところから、「巳の神杉」と称せられるようになり、巳さんの好物とされる卵が、酒とともにお供えされています。
蛇は、古来より三輪の神の化身として意識されており、『日本書紀』の崇神天皇10年9月条に、「小蛇(こおろち)」と記され、『同紀』雄略天皇7年7月条には、三輪山に登って捉えて来たのが「大蛇(おろち)」であったと伝えています。いずれも、三輪の神がその原初的形態として、蛇神であると信じられていたことを示していると考えられます。
これは、古代の人たちが、三輪山は千古鉞(おの)を入れず鬱蒼たる森林として、何がひそんでいるかわからない不気味さを覚え、そのお山から流れ出る水により、種々の農作物を作り、日々の暮らしをたて、山に立ち昇る霧や雲に神意を感得して、山内に棲む蛇を直感したものであったのでしょう。
三輪の神の原初の形とされる蛇は、水神であり、雷神ともなり、農業神、五穀豊穣の神となり、やがては国の成立とともに、国家神的な神に至ったと考えることができます。 [#IMAGE|c0119036_22512580.jpg|201012/05/36/|mid|500|333#末社 ]神宝社
祭神:家都御子神・熊野夫須美神・御子速玉神
熊野三山に祀られる神で、通称、熊野権現。 
正月元日未明、繞道祭の十八社巡りにおいて、三ツ鳥居 から出た御神火が捧げられ、最初に祭典が営まれる神社。古くから三宝荒神の信仰もあり、また財宝の神として 広く崇敬されている。
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天皇社
祭神:御真木入日子印恵命(崇神天皇)
 御神徳第十代崇神天皇は、都を奈良率川宮より磯城瑞籬宮(金屋)に奠められ、我国の歴史上画期的な御事蹟を挙げられました。
 御敬神の念極めて厚く、天照皇大神をはじめ皇居より倭の笠縫邑(現在の檜原神社)に遷し祀られ、大田々根子命(若宮さん)を大物主大神の祭主とされるほか、天社・地社を定め、四道将軍を派遣せられ、教化を盛んにして、大いに皇基を伸張せられました。又、産業交通を興され、国民の福利を進めて大和朝廷の基礎を確立せられました。
 天皇の御盛徳を稱えまつり、御肇国天皇として万世に仰がれます聖天子であらせられます。
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三輪成願稲荷社
祭神:保食命、宇迦御魂神、大宮売命(稲荷大神)
配祀:市杵島姫命、息長足姫命
元は大神神社の神宮寺の一つ浄願寺(廃寺)の鎮守社
創祀は正応3年(1290)、現在は大神神社の末社
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摂社 神坐日向神社
祭神:櫛御方命 飯肩巣見命 建甕槌命
式内社・神坐日向神社の論社で、大神神社の境外摂社。
本来は三輪山山頂の神峯鎮座の高宮社が神坐日向神社であり、当社は高宮社であると考えられており、
明治維新後に、両社の名前が誤って入れ替わったとされている。
明治18年(1885)大神神社から内務省へ、、高宮神社(山上)と山下の當社とが誤つて入替っているから訂正したいと上申したが、翌19年1月保留を指令された。
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三輪山平等寺
かつては、大神神社の神宮寺であったが神仏分離により廃寺。昭和52年、三輪山平等寺として再興。

ここで、10人くらいのグループに会う。
知ったかびりのおばちゃんが「おおがみじんじゃ」、「おおがみじんじゃ」と連発していました。
ちょっとは下調べしてから来ようよ。
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摂社 活日神社
祭神:高橋活日命
崇神天皇の八年(二千余年前)大神の掌酒として奉祀せられた杜氏の祖神たる高橋活日命を祀り一夜酒の神とも称えます。
我国でも唯一の杜氏の祖神であります。
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摂社 磐座神社
祭神:少彦名大神
大物主大神と協力して、国土を開拓し、あらゆる生産方面の開発につとめ、医薬治病の方法をお定めになった。
人間生活の万般並びに福徳の守護神として御霊験あらたかな神様であらせられます。
俗に神農さんと称せられております。
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摂社 狹井坐大神荒御魂神社
祭神:大神荒魂神 大物主神 姫蹈鞴五十鈴姫命 勢夜陀多良姫命 事代主神

狭井坐大神荒魂神社
狭井神社(花鎮社とも云う)
主祭神 大神荒魂神
配祀神 大物主神
     姫蹈鞴五十鈴姫命
     勢夜陀多良比売命
     事代主神
御例祭 四月十日
鎮花祭 四月十八日
当神社は、今から約二千余年前、垂仁天皇の御世に創祀された名社で、古来鎮花祭の行われるを以って有名であります。この祭は春季花の飛散する陽気な頃には、種々な病気が流行するので、之を鎮める為に祀るところから起こったものであります。本殿横の井戸水を昔から薬水と称して、この井戸水を掬めば諸病が免がれると伝えられているのも、この御神徳の高大なる故であります。
のどかなる 春の祭の花しづめ 風をさまれと なほ祈るらし  新拾遺和歌
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薬井戸
狭井神社拝殿の左手にあり、ご神水がこんこんと湧き出ています。この霊泉は万病に効くと古くから伝えられており、遠近よりたくさんの方が受けに来られます。
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やけにここに来る人が多いと思ったら、神体山(三輪山)への登山口がありました。でも撮影禁止なので登りませんでした。
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市杵嶋姫神社
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山の辺の道
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八大竜王弁財天 龍神神社
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玄賓庵
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桓武・嵯峨天皇に厚い信任を得ながら、俗事を嫌い三輪山の麓に隠棲したという玄賓僧都の庵と伝えられる。世阿弥の作と伝える謡曲「三輪」の舞台として知られる。かつては山岳仏教の寺として三輪山の檜原谷にあったが、明治初年の神仏分離により現在地に移された。
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摂社 檜原神社
祭神:天照大御神
この地は、崇神天皇の御代、宮中よりはじめて、天照大御神を豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託されてお遷しになり、「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立て、お祀りされた「倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)」であります。
大御神のご遷幸の後も、その御蹟を尊崇し、檜原神社として、引き続きお祀りし、「元伊勢」と今に伝えられています。
境内には、昭和61年11月5日、豊鍬入姫命を祀る豊鍬入姫宮が鎮斎されました。
万葉集等に「三輪の檜原」と数多く詠まれ、山の辺の道の歌枕ともなり、西につづく檜原台地は、大和国中を一望する絶好の地であります。
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三輪山
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さて、かえることにするか?
同じ道をひきかえすのもどうかなあと思い。まちなかを通ることにしました。
三輪そうめんの工場?が連なっていました。
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大直禰子神社(若宮社)
祭神 大直禰子命
配祀 少彦名命、活玉依姫命
例祭日 4月8日 10月23日
奈良時代には、神仏習合の姿をとり、大神神社の神宮寺、大神寺(おおみわでら)として栄えました。中世には、三輪流神道がこの地より広まり、各方面に多大の影響を与えました。
明治の神仏分離までは、大御輪寺の本堂として、若宮の大神様とともに本地仏十一面観音(国宝、現聖林寺奉安)が併祀されていました。
現社殿は、昭和62年より3年間に亘り解体修理が実施され、応永19年(1412)の姿に復元されたものであります。(重要文化財)
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久延彦神社
祭神 久延毘古命
例祭日 5月5日 9月1日 12月第1日曜日
ご祭神の久延毘古命は、大国主神が国造りの際、多くの神がご存じなかった、少彦名命(すくなひこなのみこと)の神名をお教えになられた神様であり、知恵は世に類なく優れておられ、『古事記』には「足はあるかねど天下の事を、尽(ことごと)に知れる神」と記されている神様であります。
特に受験合格・入学・進学・就職等の成就安全をおまもり下さる、知恵の神様として信仰されており、社頭にはそれぞれの願い事を書いた「願かけ絵馬」が数多く掛けられています。
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大和三山
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絵馬
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祈祷殿・儀式殿・参集殿
国の重要文化財となっています拝殿・三ツ鳥居の老朽化に伴う保存修理とそれにあわせて、境内諸施設の拡充整備を目的とした「平成の大造営」事業で、平成9年5月8日に竣功しました。正面に祈祷殿、左に儀式殿、右に参集殿と3つの建物が、三輪山を背に西向きに建ちます。使用されている木材は、大部分が台湾檜で、一番太いものは樹齢1500年の原木から用いられています。
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綱越神社
祭神 祓戸大神
例祭日 7月31日
大鳥居の南側、一の鳥居にすすむ参道入口となる三輪の馬場先に鎮座します。古く延喜式神名帳に記載され、すでに貞観元年(859)には、従五位下の神階を贈られている由緒ある古社であります。
往昔から夏越の大祓が、例祭として行われ、社名の綱越は、夏越からの転訛と考えられ、通称「御祓さん」と呼ばれ親しまれています。
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一の鳥居
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三輪山と大鳥居
おっと!鳥居がわからへんか?
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アップ
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さらにアップ
昭和59年10月13日の、昭和天皇ご親拝を記念、また御在位60年を奉祝して建立され、昭和61年5月28日に竣功しました。
高さ32、2メートル、柱間23メートルの偉容を誇る、日本一の大鳥居です。材質は耐候性鋼板であり、耐久年数1、300年と言われています。


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by von-braun | 2010-12-06 00:08 | 近畿
談山神社
11月29日
桜と紅葉で有名な奈良県桜井市の談山神社へ行ってきました。
4:21発、途中ファミマで休憩し、6:25着
拝観時間は8:30からなので、車中で仮眠。
おお、修学旅行生がぞろぞろホテルから出てきたぞ。高校生っぽいが。
8時過ぎに鳥居のところにいくと、すでに開いていました。
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ご覧ください見事な紅葉
談山神社は奈良県桜井市の多武峰にある神社。祭神は、藤原鎌足(談山大明神・談山権現)。桜と紅葉の名所である。神仏分離以前は、寺院であり、多武峯寺あるいは多武峯妙楽寺という名称でした。

略記によると、
「飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会があったとき、中大兄皇子にまみえることができ、西暦645年の5月、二人は多武峰の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。
天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、大織冠を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。
鎌足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。
大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。」

鎌足の墓処は定かではないが、『日本三代実録』天安2年(858年)条には「多武峰墓を藤原鎌足の墓とし、十陵四墓の例に入れる」という記述があり、平安時代中ごろ成立と見られる『多武峯略記』などに「最初は摂津国安威(現在の大阪府茨木市)に葬られたが、後に大和国の多武峯に改葬された」との説が見えるそうです。

重要文化財(建造物)

十三重塔
権殿
本殿
拝殿
東透廊
西透廊
楼門
東宝庫
西宝庫
摂社東殿
神廟拝所
閼伽井屋
末社惣杜本殿
末社惣社拝殿
末社比叡神社本殿
摩尼輪塔

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十三重塔
戦前には紙幣にさいようされたこともあるという重要文化財十三重塔。
長男の定慧が唐より帰朝後、父の追福のため建立。唐の清涼山宝池院の塔を模して建てられたと伝えられる。現存は1532年の再建。木造の十三塔としては世界唯一。

近くの紅葉は散り始め。
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紅葉と総社本殿
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権殿
もとの常行三昧堂。摂政右大臣(後太政大臣)藤原伊尹(師輔の長男、兼家の兄)の立願により970年に創建された。現存は室町後期の再建。
※兼家は道長の父。


8:19 空気が黄色い。もう少し陽が昇るまで時間をつぶそう。
権殿の裏に、談い山と御破裂山への登山道があったので登ることにしました。
8:26 御破裂山と談い山の分岐点に到着。先に御破裂山へ行くことにします。
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御破裂山 藤原鎌足公墓所 8:34
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ここに鎌足が眠るのか?
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裏には藤原家の新しい墓が。。。。
「藤原家」よいうのも奇妙な感じではあるが。。。。。

たまに藤原っていう名字の方が、鎌足の子孫やと自慢げに言ってくるのですが、自慢でも何でもないんですよ。
源平藤橘の四大姓の中でも藤原は長く権力の中枢に居座り続けました。今以上に世襲がはびこる昔のこと、藤原さんばかりになっちゃうんですよね。そして位の高い藤原のみなさんは、家があった通りや屋敷の名前で呼ばれる(自ら名乗ったのかな?)ようになります。摂政関白になれる五摂家はの近衛家・九条家・一条家・二条家・鷹司家。
公家は上位から摂家、清華家、大臣家、雨林家・名家、半家。ここまでが昇殿を許された家。このなかに藤原という家はありません。
要するに、藤原の名字は自慢できるものではないんですよ。主流からはかけ離れている。
談山神社http://www.tanzan.or.jp/uji.htmlの「当社について」のタブに藤原氏族一覧があります。
「藤原の姓は、鎌足公に始まります。わが国には世界一多い約150,000から200,000 の名字がありますが、このうち約4、000が藤原氏の氏族です。藤原氏氏族のごく一部をご紹介します。」とあり、なんと私の名字まであります。 そんな話聞いたことないぞ!!
まあ、鎌足の子孫はありふれているってことです。

8:40 戻るとするか。
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談い山
ここで中大兄皇子と中臣鎌足が話し合ったのか? 8:46

基本的なことですが、勘違いをしている人も多いと思うんですが、桜井市と奈良市って結構離れています。こんなとこまで来て話し合いしたのか?といぶかる人もいるでしょう。でも、鎌足の当時(飛鳥時代)京は平城京(奈良市)ではありません。現在の明日香村にありました。蘇我の入鹿が殺されたのは乙巳の変で、その舞台は飛鳥板蓋宮で、直線距離で談山神社から3km程度しかはなれていないんです。

8:54境内にもどる。
おおっ、まばらだった人が、かなり押し寄せて来ているゾ!
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でっかい杉にでっかいもみじ。
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手前の屋根から総社本殿、総社拝殿、神廟拝所
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楼門
三間一戸、朱塗桧皮葺。1619年造営。
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拝殿と紅葉
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周囲に廻縁をめぐらし勾欄をもつ。正背面に入母屋破風と軒唐破風を設けており、内部は「千畳敷伽羅の間」と呼ばれ、中央天井には伽羅の香木を用いている。1520創建
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拝殿
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本殿、東西廻廊
修繕中。
最近修繕中のところが多いんですけど。なにもこのトップシーズンにすることないのに。
鎌足を祀る本殿は、三軒社隅気入春日造の絢爛豪華な様式で知られ、社殿全体は極彩色模様や、龍花鳥などの彫刻によって装飾されている。現存は1850年建替え。
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拝殿からの東宝庫
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千畳敷伽羅の間
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西宝庫
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拝殿
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東宝庫
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東殿
もともとは本願堂で、現在は若宮と称して鏡女王、定慧、不比等を祀る。
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拝殿
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観音堂
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むすびの岩座
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三天稲荷神社
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まだ色づいていない木もあります。
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赤、黄、緑がきれいです。
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東宝庫の横にある春日神社、屋根はあるものの重文でもなんでもない。
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神廟拝所
もとの講堂で、678年定慧により創建。
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けまりの庭から
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総社拝殿
1668年造営。本社拝殿とよく似た形式を持ち、中央の軒を高めて入母屋破風及び軒唐破風を設けた独自の形式。正面の小壁には、狩野永納の壁画と「山静」の落款が残っている。
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左総社本殿、右総社拝殿
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総社本殿
926年の勧請と伝えられ、八百萬神をまつる総社としては、わが国最古のものである。
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ここのカエデは大きい
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閼伽井屋(あかいや)
1619年造営。内部には石組みの神井がある。
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けまりの庭と神廟拝所
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末社 比叡神社
1627年造営の一間社流造。正面に軒唐破風と千鳥破風を設けており、小社ながらも美しい。
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転輪法堂跡
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祓戸社
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談山神社
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石燈篭
後醍醐天皇後寄進と伝えられ、竿に元徳3年(1331)の刻銘を持つ。
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東大門
一山の表門に当たる高麗門であり、1803年の建立。

しまった!摩尼輪塔撮り忘れている!!

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by von-braun | 2010-12-02 00:12 | 近畿