<   2010年 02月 ( 8 )   > この月の画像一覧
紀州田辺梅林
最近、休みの日天気悪いのよ。
今回も数日前の天気予報では2日とも晴れだったんですが、近づくにつれ、曇り、雨に。。。。

週間天気予報もっと精度上げろよ!

てなわけで雨です。。。。

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新車買っちゃいました。
この話はまた今度。
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南高梅の花
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この辺の梅林は主に南高梅。そうです、梅畑です。
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菜の花も満開
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今年は開花が早かったのですが、その後、冷え込んだり、天候が不順だったりで、あまりミツバチが飛んでいないようです。
南高梅は自家結実性が低いので、交配樹とミツバチが必要です。
要するに南高じゃない梅の花粉がなければ実がならないってことです。

今年は不作かも?
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by Von-Braun | 2010-02-26 00:24 | 和歌山
宇宙戦艦ヤマト
東京へ行ったついでに、カーナビに携帯を繋ぐコードを買いにいったんですが、置いてませんでした。
カーナビ自体置いている店が少ない。
うろうろしていると、ヤマト発見。
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「YAMATO EXPO'10 ヤマトより愛をこめて」の3分の1スケールの宇宙戦艦ヤマトの波動砲モニュメント。
「宇宙戦艦ヤマト」とタイアップしたパチンコ台「CR宇宙戦艦ヤマト3」のリリースを記念して開催されたらしい。

これ目的じゃないから、2枚写真撮っただけ。

ところで、結局目的のブツは手に入らず。
まあ、家電やないけど。。。。。
カーナビ置いている店、4軒入ったけど、4軒ともなし。うち2軒は外国向けの製品しか置いてないとのこと。
店先に書いとけよ!
そもそも、日本で日本向けの製品売ってないってどうよ?

結局オートバックスで定価で買いました。。。。。
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by Von-Braun | 2010-02-18 00:01 | 関東
阪神タイガース(プレーンチョコレート)
チョコもらいました。
嫁から。
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阪神タイガース承認です。
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でも、ゴンチャロフです。
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中はこんな感じです。
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by Von-Braun | 2010-02-16 01:46 | 日常
白川郷
久しぶりの世界遺産です。

世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」は、飛騨地方の白川郷(岐阜県大野郡白川村)と五箇山(富山県南砺市)にある合掌造りの集落で、1995年12月9日にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
白川郷・五箇山の合掌造り集落と言われていますが、白川郷の「荻町」と、五箇山の「相倉」、「菅沼」の三つの集落が世界遺産。
荻町は1976年に、相倉と菅沼は1994年に重要伝統的建造物群保存地区に選ばれています。世界遺産に登録されているのはこの3集落で、他の集落のものについては世界遺産には登録されていません。
「荻町」は岐阜県大野郡白川村、「相倉」、「菅沼」は富山県南栃市(旧行政区域:東砺波郡平村、同上平村)にあります。

今回は白川郷のみです。
白川郷の国指定重要文化財は和田家住宅のみ。
白川郷にはもうひとつ旧遠山家(白川村大字御母衣)があるのですが、世界遺産ではありません。


c0119036_20555512.jpg結構積もってます。
でも寒くないんですよね。風がないから。

うちの方が寒いくらい。
南紀といえども、冬は結構、風が強いので、体感温度は寒いです。

c0119036_21523681.jpg早速合掌造りの家が。

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この3軒並んだ風景よく見ますね。

上町(かんまち)地区にあります。
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地図上では生活資料館と記載されている場合もありますが、左が土産物屋の木古里、右が茶屋忠兵衛、真ん中がどうやら生活資料館らしいのですが、開いているような(使用されているような)雰囲気はありませんでした。


c0119036_2201627.jpg甚太の庄(たぶん)

c0119036_2202341.jpg生活資料館(たぶん)

c0119036_2202947.jpg茶屋忠兵衛

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木古里
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木古里
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であい橋
一見つり橋に見えるが、吊床版橋。
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白川郷には、木製のつり橋があうと思うのですが、これだけの人乗れませんもんね。

c0119036_2211210.jpg庄川

c0119036_221181.jpg燈篭

c0119036_2212420.jpg秋葉神社
ここにもあったか。

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食事喫茶 今昔
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メインストリート
大型車は通行禁止

そんなに大きい地区でもないので、住民以外自動車乗り入れ禁止にしてもいいくらいでしょう。

c0119036_2214171.jpg廃屋?

c0119036_2214831.jpg神田家
見学可能
およそ200年の合掌造り家屋。新しい技術をとりいれ改良された完成度の高いつくり。
自慢の囲炉裏や民具など館内に展示されています。

神田家は和田家(現国重文)の次男である和田弥右衛門が分家し、この地に居を構えたのが始まりです。
当時この地には、産土八幡宮の「神田(しんでん)」があったことから、苗字を神田と改め、神田吉右衛門を襲名しました。
当合掌造りは江戸後期に石川県の宮大工により十年の歳月をかけて建造されたと云われています。
それまでの合掌造りの構造を受け継ぎながらも、新しい技術を取り入れ改良し、完成度の高いつくりと評されています。

c0119036_2215328.jpg神田家

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長瀬家
5階建て600坪という白川郷でも最大級の合掌造りの家屋。樹齢150~200年のヒノキや、300~350年の栃などの巨木を利用。長さ11mもの柱(合掌柱)が5階建の合掌造りを貫いています。250年続く長瀬家は初代から三代目当主までが医者で、加賀藩前田家の御典医を勤めており、江戸時代の医療器具が残されています。
5階建てという大規模な合掌作りは、3年の歳月と当時の金で八百円、米百表、酒十一石八斗と白川郷民の「結い」の心で完成したといわれています。

c0119036_057891.jpg長瀬家

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長瀬家
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城山展望台の近くより
城山展望台までは下から20分って書いてたんですが、時間がないので、途中の見晴らしのよい場所で撮影。
ここまで行きは10分帰りは3分。(走ったけど。。。)
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和田家(重文)周辺
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中央左が長瀬家c0119036_0581894.jpg

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稲架倉(はさぐら)
刈り取った稲を乾かすための場所と大事なものを納める倉とが一緒になった建物。
後ろが城山展望台
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和田家住宅
【重要文化財】
和田家は天正元年(1573年)よりつづく家柄で、当主は代々「弥右衛門」を名乗りました。江戸時代には牛首口留番所役人や庄屋を務め、苗字帯刀を許されていました。また、火薬の原料である塩硝(焔硝)の取引で繁栄しました。
和田家住宅の建築時代は諸説ありますが、文化庁によると江戸時代末期であるといいます。
和田家住宅は1995年(平成7年)12月26日に主屋、土蔵、便所ならびに土地が国の重要文化財に指定されました。現在も住居として使われていますが、見学できます。
c0119036_059498.jpg和田家

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和田家
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c0119036_0592683.jpgカオナシ

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雪の合掌造り

c0119036_0594136.jpg雪だるま

c0119036_0595093.jpgキティーちゃん

c0119036_0595944.jpgミッフィー

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by Von-Braun | 2010-02-16 01:27 | 東海
飛騨高山
飛騨高山は江戸時代以来の城下町・商家町の姿が保全されており、その景観から「飛騨の小京都」と呼ばれている。
高山は、金森長近3万8千石の城下町であったが、元禄5年(1692)金森氏は国替えとなり、飛騨は徳川幕府直轄の天領となった。それ以来高山は、町人の町として栄えた。
いまに見る高山の伝統は、武家文化中心のものではなく、町衆文化である。
c0119036_2020227.jpg飛騨高山はかなり雪深い

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高山市政記念館
1895年(明治28年)から1968年(昭和43年)まで高山町役場(昭和11年11月からは市役所)として使用されていた建物で、その後1986年(昭和61年)までは公民館として使用されていた。
町並みを守るという住民の意識が高いんでしょうね。
わが街はそんな建物をどんどんどんどん破壊しています。
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中橋から
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さんまちの町並み
さんまちは江戸時代、金森長近が整備した城下町の商家町にあたる区域で、江戸時代後期から明治時代にかけての和風建築が数多く残されている。
高山市三町伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

大体みんな高山陣屋や陣屋朝一へ行くんでしょうか?
でも、高山陣屋は建築物は国宝でも重文でもなんでもない。

高山に国宝(建築物ね)はないので、歩いていける範囲なら、重文の国分寺、照蓮寺、吉島家住宅、日下部家住宅、松本家住宅しかないでしょう!
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二木酒造
ちょうど新酒ができる頃です。杉玉がかかっています。
酒造めぐりの時期で、試飲もできるのですが、10時からのオープン。
まだ少し早いので、後にしよう。
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川尻酒造場
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生活するために最小限のことしかしたくない私は、ここには住めませんな。
今の余暇の時間から雪かきする時間減るわけでしょ。
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日下部家住宅(日下部民芸館)
【重要文化財】

日下部家は、天領時代幕府(代官所)の御用商人として栄えた商家で、屋号を「谷屋」といった。
当時の邸宅は、明治8年に焼失、4年後の明治12年(1879)に完成したのが、現在の建物である。
主家は、切妻造り段違い二階建て、一部吹き抜けの総桧造り。梁と束柱の木組みの力強い構成、屋根の勾配はゆるく、軒の出は深い。また家の正面表構えの出格子、入格子、窓切りの変化、ベンガラに煤をまぜて焦茶色に塗った木部の仕上げ等、江戸時代高山の町家造りの特色を留めている。他に土蔵二棟がある。
昭和41年、明治建築の民家として、初めて国の重要文化財に指定され、以後民芸館として一般に公開している。
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c0119036_20302712.jpg囲炉裏
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せんべいとお茶をいただきました。
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吉島家住宅
【重要文化財】
日下部家に隣接する。
吉島家の初代は文政6年(1823)に没した休兵衛で、代々生糸、繭の売買、金融、酒造業を営んだ。吉島家の日記によると明治8年(1875)高山の大火後翌9年再建した。しかし明治38年(1905)再び類焼し、本宅表側の店二間通りだけが焼け残ったとある。四代吉島斐之は明治40年再建を行った。大工は主屋を川原町西田伊三郎が、座敷を吉城郡上宝村の内山新造が建てた。
 主屋は2階建であるが全体のたちは低く、下手の落棟部は中2階である。1階前面には様々な格子が幅広く付き、優れた意匠をもつ。2階壁面は低く連子窓を連続させるが、入口大戸の上は化粧貫2本を横に通した土壁となる。向って左側の落棟は中2階に与力窓を設ける。   
 隣つづきの日下部家と異なるところは、軒下にせいがい天井がなく、前側2階の柱間が広いこと、北側出格子が入口一間手前で入格子になって葬式の際に出棺する場所が設けられていること、全体的に地味な印章を与えることなどである。
 棟まで1本で通した大黒柱は太く美しい。大黒柱に組み込まれた吹抜部分の梁組は、丁寧に鉋で仕上げられ、漆を塗られている。天窓から差し込む幾筋かの光が、斜めにこの吹抜けを通る構成はすばらしいものがある。庭は、前側に「ナカニワ」、裏側に「ウラニワ」がある。それぞれ茶室、仏間、本座敷、次の間から眺められる間取をもつ。
中に入る時間はありませんでした。

この後、照蓮寺に行きたかったのですが、足手まといが3人いるし、そのうち1人はうっさい奴やから、引き返すことに。
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弥生橋から上流
左側に宮川朝一が並ぶ。
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秋葉神社
日本全国に点在する神社で、神社本庁傘下だけで約400社ある。
静岡県浜松市天竜区春野町領家にある秋葉山本宮秋葉神社が、秋葉大権現の起源。
神社以外にも秋葉山として祠や寺院の中で祀られている場合もあるが、殆どの祭神は神仏習合の火防・火伏せの神として広く信仰された秋葉大権現である。
祠の場合は火伏せの神でもあるため、燃えにくい石造りの祠などが見かけられる。小さな祠であることが多く、一つの町内に何箇所も設置されている場合もある。
ここ高山にもいくつもあり、スタンプラリーが楽しめる。そんな時間ないけど。。。。
c0119036_20313385.jpg宮川朝一

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今日はあまり出店していないようです。
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仙人台の置場
八幡祭の屋台行列は享保三年(1718)の開始と伝えられるが、その頃の屋台「湯の花」の組が分かれて仙人台の組ができたといわれる。
最も古い形を残した屋台といわれる。以前は他の多くの屋台が唐破風の屋根であったというが、切破風に変わり、この屋台だけが唐破風の古態を残している。屋根飾りには極彩色の剣巻龍を前後に立てている。往時は久米の仙人が、洗濯する美女の美しさに見とれて雲上から墜落するというからくりがあったが、明治初期に廃止され、現在は仙人の像のみが飾られている。

c0119036_20315136.jpg田邊酒造
ここの試飲は2/22からだった。。。。。。

ちなみに、酒造めぐりは、
平田酒造場1/18-24
原田酒造場1/25-31
川尻酒造場2/1-7
二木酒造2/8-14
平瀬酒造店2/15-21
田邊酒造場2/22-28

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老田酒造店
酒造めぐりの中には入っていないが、ここでも試飲できました。
c0119036_203296.jpgキティぼぼ

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歯医者もこんな感じです。
c0119036_20322185.jpg川尻酒造場に戻って試飲。
いろいろ説明してくれました。
酒造めぐりのお猪口もいただきました。

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ファミマもこんな感じ
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長瀬旅館

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by Von-Braun | 2010-02-12 21:40 | 東海
下呂温泉
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下呂温泉
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下呂温泉夜景
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日本三名泉発祥之地の碑

徳川家康以下4代将軍に使えた儒学者・林羅山が、摂津・有馬温泉にて作った詩文集第三に「諸州多有温泉、其最著者、摂津之有馬、下野之草津、飛騨之湯島(下呂)是三処也」に由来している。しかし厳密には、室町時代の僧、万里集九がこれらを三名泉と既に書き残しており、林羅山はこれを追認したに過ぎない。

三名泉?
あんまり温泉に入った気がしないんですが。。。。
透明で、ぬめりが少ないし、硫黄の匂いもしないので。
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白鷺橋から
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本日は花火大会。事前に知っていたので三脚を持っていってました。
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さるぼぼはうす
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翌日は雪が少し積もってました。
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by Von-Braun | 2010-02-09 21:47 | 東海
郡上八幡
ず~と行きたかった郡上八幡です。

郡上郡八幡町は合併して郡上市になりました。

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結構な雪でした。今冬3回目らしい。
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慶長六年(1601)に八幡領主遠藤慶隆は、東常縁の玄孫が出家して、正勧坊正欽と号し、飛騨の照蓮寺に留錫していると聞き、招請し当寺を創建して、菩提所となし、その影像を安置した。美並村乗性寺とともに郡上における東氏有縁・浄土真宗照蓮寺派の触頭の寺院として重きをなした。遠藤慶隆の墓がある。
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防火バケツ?
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小駄良川
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大乗寺
越前朝倉家の清水三右衛門尉が、主家没落後、京都日蓮宗妙覚寺に随身しその後小駄良中桐村に法華坊として隠棲した。慶長八年(1603)に八幡領主遠藤慶隆は、現今の地へ堂舎を建立した。この地は中世の尾壺城跡であった。山門は享和四(1804)年諸堂再建の折りのものである。郡内総守護鬼子母神を祭祀した境内は質実素朴な構えである。
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郡上踊り銅像
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酒店看板
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郡上八幡城
戦国時代末期の永禄2年(1559年)、遠藤盛数が八幡山の上に砦を築いたことが郡上八幡城の起源である。遠藤盛数が郡上八幡城を築くまでは、郡上一円は東氏によって支配されていた。東氏は、郡上八幡の町を挟んで反対側にある東殿山に東殿山城を構えていたが、1559年(永禄2年)、遠藤盛数によって滅ぼされた。遠藤氏は東殿山城を奪い、郡上一円を支配したものの、この城を好まず、東殿山城を攻撃したときに陣営を張った八幡山に城を築いた。 その後盛数の長男慶隆が城主となったが、本能寺の変後羽柴秀吉と対立する織田信孝の傘下に属していたため追放される。慶隆追放後稲葉貞通が一時城主となり、この際に天守や二の丸などが建造されている。その後関ヶ原の戦いの功により再び慶隆が城主となり、以来廃藩置県まで郡上藩の藩庁となる。5代藩主常久まで遠藤氏が城主となり、以下井上氏2代、金森氏2代、青山氏7代と城主が変遷。青山幸宜が藩主の際に明治維新を迎え、廃藩置県により廃城となる。廃城の翌年、石垣のみを残し取り壊わされる。
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現在の天守は、大垣城(当時)を参考に昭和8年(1933年)に造られた。模擬天守としては全国的にも珍しい木造。石垣が岐阜県史跡に、天守閣が郡上市有形文化財に指定されている。内部は歴史資料館などとして利用されている。山城であり、市街地を流れる吉田川のほとりに聳える。城自体は小規模だが、城下から眺める城の風景や、城から見下ろす城下町のたたずまいは大変美しい。城の入り口までは徒歩でも自動車でも行くことができ、山麓には山内一豊と妻千代の像がある。

千代は遠藤盛数の子の説が有力。
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宗祇水

環境省が選定した「日本名水百選」の第1号に指定されたことで有名になった湧水。
本来は、由緒正しき史跡。
文明3年(1471)連歌の宗匠・飯尾宗祇が郡上の領主である東常縁から古今伝授を受けて京へ戻るとき、当時の2大歌人であるふたりが、この泉のほとりで歌を詠み交わしました。

「もみじ葉の 流るるたつた白雲の 花のみよし野思ひ忘るな 常縁」

「三年ごし 心をつくす思ひ川 春立つ沢に湧き出づるかな 宗祇」

惜しむ別れを清泉に託した2首の和歌が残されています。


田辺にも「宗祇庵」なるものがあります。

宗祇は姓は飯尾、応永二十八年(一四二一)有田郡藤並(近江説も)に生まれ、連歌師として一生を旅に過ごした。伝説の多い人で、田辺でも 「世を旅に宿を苅田のほとりから」という連歌の発句を残したといわれる。
その時、宗祇が泊まったとすれば、この上野山城の中腹がもっともふさわしいとして、安永五年夏、田辺の俳人・玉置香風が「宗祇庵を建て文人の会所に提供した。
同時に建てたのが「宗祇翁旧蹟」の碑で、側に刻まれている 「 それも流れ これも流れて 秋の水 」の句は、香風の師匠であった二南斉智角のもので、ちょうどその年七回忌にあたっていた。香風は宗祇・智角の二人の先達を顕彰する意味をこめてこの宗祇庵を開いたのである。
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南天玉

「難を転ずる縁起物」、郡上市は南天の房出荷量日本一。
造り酒屋の軒先にぶら下がる「杉玉(酒林)」。緑の杉玉を吊るすことで新酒ができたことを知らせるものですが、郡上八幡ではこの「杉玉」とともに、「南天玉」が存在します。新年を迎える商店などの軒先に吊るされます。
「難を転ずる縁起物」としてだけではなく、真っ赤な南天玉が徐々に黒く変わっていく様子から、「商売繁盛」を願って飾られるものとか。
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宮瀬橋より新橋
下を流れるのは吉田川。
新橋はよく飛び込んでいる橋です。
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郡上八幡旧庁舎記念館
昭和11年に建てられた洋風建築で、木造2階建て、床面積は約800㎡。外壁は板張りに縦長の端正な窓、屋根組みは当時最新の技術であったトラス工法が用いられています。
 平成6年まで八幡町役場として使われていた。
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郡上本染
こいのぼりの寒ざらし。
この日は作業をしてない日なんですが。。。。。

この写真は新橋からとったもの。
下を見た感想は?

軽いな!
高さは13mらしいが、これくらいなら軽く飛び込めます。
子どもの頃飛び込んでた橋の方が高い。
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遠郷山安養寺
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安養寺の開基は、近江源氏佐々木高綱の三男高重が出家して、親鸞上人の弟子となり法名を西信と賜い、康元元年(1256)江州蒲生郡に一宇を建築し安要寺と称した。
安要寺六代仲淳が、美濃安八大榑へ移り蓮如上人より安養寺の寺号を受けた。なお、ここを中心に越前穴馬や、郡上方面に布教を始めたが、この頃仲淳が本願寺から授かったものの一つに、上部に正信偈の一部、裏面に大谷本願寺釈実如が明応2年(1493)9月18日の大榑庄安養寺釈仲淳に、この御影を授けるという実如直筆の裏がきのある親鸞聖人御影も伝わっている。
七代了淳の時代、越前穴馬から、天文5年(1536)大島村野里へ移転し、天正6年(1588)稲葉定道が郡上領主になったとき八幡中坪村園野へ移り、さらに、本堂焼失を期に明治14年に八幡城三の丸跡地(現在地)に移転、明治23年本堂を再建した。その後、大正8年の大火で焼失、昭和11年再建され現在に至っている。
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by Von-Braun | 2010-02-09 21:16 | 東海
京都 坂本龍馬ゆかりの地
京都は東山に行ってきました。

団体行動なので、行きたいところにはいけなかったのですが、主に坂本龍馬ゆかりの地をたどりました。
あまり幕末には興味ないんですが。。。。。
しかも行ったことあるし。。。。

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熊野若王子神社

永暦元年(1160)後白河法皇が熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神として勧請し、祈願所とした正東山若王子の鎮守であった。社殿は度々荒廃し、明治の修築の際本宮、新宮、那智、若宮などがあったが、現在は1社相殿になっている。
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c0119036_1810574.jpg八坂の塔
【重要文化財】
霊応山 法観禅寺にある五重塔

c0119036_181162.jpg二寧坂一念坂界隈の町並み

大正時代の初期より現在の町並みとなり国の町並み保存地域、京都市の伝統的建物保存地域に指定されています。この道は二寧坂(二年坂)、三寧坂(三年坂)を通って清水寺に通じます。

c0119036_18111222.jpg霊山観音(りょうぜん)
高さ24m

c0119036_18111822.jpg維新の道

東大路通りから京都霊山護国神社へ向かう参道を、「維新の道」と言います。途中、ねねの道や二年坂への分かれ道があり、坂を上りきったところに、維新の志士たちを祀った京都霊山護国神社、幕末史を専門に扱う霊山歴史館、霊山を勤王の志士たちの聖地とした霊明神社があります。

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京都霊山護国神社

1868年(明治元年)5月10日、明治天皇から維新を目前にして倒れた志士たち(天誅組など)の御霊を奉祀するために、京都・東山の霊山の佳域社を創建せよとの詔・御沙汰が発せられた。それに感激した京都の公家や山口・高知・福井・鳥取・熊本などの諸藩が相計らい京都の霊山の山頂にそれぞれの祠宇を建立したのが神社創建のはじまりであり、日本初の招魂社である。靖国神社より古い歴史を持つ。
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坂本龍馬・中岡慎太郎墓所
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池田屋事件関係者墓所
幕末の元治元年6月5日(1864年7月8日)に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅館・池田屋で京都守護職配下の治安維持組織である新撰組が潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊皇攘夷派を襲撃した事件である。池田屋騒動、 池田屋事変、三条小橋の変等ともいわれている。近藤勇は書面で洛陽動乱と名づけている。
c0119036_18122290.jpg坂本龍馬・中岡慎太郎の像

c0119036_18123041.jpg龍馬が眺める京都市街

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木戸孝允(桂小五郎墓所)
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霊山歴史館

霊山歴史館は、全国唯一の幕末・明治維新の専門歴史博物館として昭和45年(1970)に開館。江戸中期以降、とりわけ天保期後の諸藩志士をはじめ朝廷、公卿、諸侯、藩主、文人、画家など重要人物の遺墨、詩文、遺品、書状や各種資料・文献などの収集、調査、研究、公開展示を行う。収集資料は5000点を超える。
 公開展示は約100点を選んで常設展を行っています。また時期によっては全国各地の博物館や個人所蔵家の協力を得て特別展を開催しています。
c0119036_18125396.jpg坂本龍馬

並んで写真が撮れるようになっているんですが、その横には。。。。

c0119036_18125895.jpg土方歳三が。。。。。

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翠紅館跡

正法寺の子院であったが,眺望に優れたので,庶民の遊興や文人の詩歌・書画会などの貸席として使われ,叔阿弥と称した。天保年間(1830~44)に西本願寺の所有となり,荒廃していた庭園を整備,書院を新築して翠紅館と称した。幕末に勤王の志士の集会所となったことから有名になった。文久3(1863)年正月や同年6月等に,反幕府勢力の各藩志士代表者の会議がもたれ,攘夷の具体策が検討された。これを世に翠紅館会議といった。この石標は翠紅館の跡を示すものである。現在は料亭として使用されている。 #IMAGE|c0119036_18132583.jpg|201002/09/36/|mid|500|333#]高台寺庫裏

高台寺は京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は鷲峰山(じゅぶさん)、寺号は詳しくは高台寿聖禅寺と称する。豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である高台院にちなむ。釈迦如来を本尊とする禅宗寺院であるとともに、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格をもった寺院である。

本当はこっちへ行きたかった。。。。
だって、重文の建築物あるから。今回はゆっくりする時間がなかったのが残念。

一路伏見へ

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月桂冠大倉記念館

伏見城の外堀・濠川(ほりかわ)沿いの柳並木。白壁土蔵の酒蔵。酒造りの最盛期、蔵の近くを通ると、米を蒸したり、もろみが発酵する香りが漂い、酒の街ならではの趣をたたえています。
月桂冠大倉記念館は、貴重な酒造用具類を保存し、伏見の酒造りと日本酒の歴史をわかりやすく紹介しています。
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キザクラカッパカントリー

黄桜直営店。ここでしか飲めない限定のお酒や京都の地ビールと京料理が楽しめる。
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ゆのみ
c0119036_18135988.jpg史跡寺田屋の碑

寺田屋事件とは、江戸時代末期の京都郊外の伏見の旅館・寺田屋で発生した事件。
文久2年4月23日(1862年5月29日)に薩摩藩尊皇派が薩摩藩主の父で事実上の指導者・島津久光によって粛清されたと言われる事件。
慶応2年1月23日(1866年3月8日)、宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行配下の捕り方が捕縛ないし暗殺しようとした事件。

寺田屋は坂本龍馬が常宿としていた旅籠。龍馬は寺田屋に泊まり談笑をしていた時に幕府の捕手に囲まれ、そのうちの数名が二階に上がろうとしていた、この時入浴中のお龍はこれに気付き裸同然の姿で裏の階段から二階にかけのぼり龍馬に急を告げた。そのおかげで龍馬たちは大乱闘の末なんとか急襲を逃れた。


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隣にある現寺田屋

幕末当時の建物は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失しており、現在の建物は当時の敷地の西隣に建てられたものである。大正年間に現在の寺田屋の土地・建物は幕末当時の主人である寺田家の所有ではなくなっており、のちに経営そのものも跡継ぎのなくなった寺田家から離れている。
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個人行動なら醍醐寺と伏見稲荷にいってるんやけど。。。。。

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by Von-Braun | 2010-02-09 19:11 | 近畿