カテゴリ:九州・沖縄( 15 )
宝当袋
愚妻が、唐津は高島の宝当神社に行ったので、宝当神社のお守りと宝当袋を買ってくるように頼んだのですが。。。。
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買って来たのはこの宝当袋だけ。
お守りを買って来いと言ったのを忘れていたらしい。
袋の方は、唐津のホテルから高島への生き方をインターネットで調べ、袋の写真と行き方の地図、フェリーの時刻表など、至れり尽くせりの資料を渡したので無事買ってきたが。。。。

しかし、忘れていたにしても、神社へ行ってお守り買わへんなんてありえ~へん!
そんなもん、受験生を抱えた母親が大宰府天満宮に行って、梅が枝餅だけ買って、お守り買ってこうへんのと同じや!!

ほんまに愚妻や!!

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それはともかく、オータムジャンボを2日入れておいた。
連番20枚とバラ20枚。
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そしたら、なんと1000円が3枚あたった。

でも、赤字やけど。

明日年末ジャンボ買ってきます。
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by von-braun | 2009-11-30 00:01 | 九州・沖縄
門司 九州旅行10
さて、前回大雨で行けなかった北九州市の門司です。
11:07分いのちのたび博物館発11:50到着。あれ距離メモするの忘れてる。。。。。

関門海峡ミュージアムの駐車場が映画ロケのため使用できないとのこと。
何の映画?
まっそれは後のお楽しみ。
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潮風号
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国際友好記念図書館
帝政ロシアが大連に建築した東清鉄道オフィスの複製建築
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駐車場横の壁
昔は建物だったんでしょう。
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名物の焼きカレー
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卵がとろ~りと
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旧門司税関
明治42年の門司税関発足を契機に、明治45年(1912年)に建てられた煉瓦造り瓦葺平屋構造の建築物。昭和初期まで税関庁舎として使用されました。1階は税関常設展示コーナー、エントランスホール、休憩室、喫茶店「レトロカフェ」、展示室、2階はギャラリーと関門海峡を望める展望室となっています。

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下関を望む
左側の建物は海峡ゆめタワー
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関門橋を望む
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旧門司税関
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関門橋
c0119036_23372040.jpgブルーウィング門司とレトロハイマート
ブルーウィング門司は「恋人の聖地」に認定のはね橋
レトロハイマートは黒川紀章が設計した高層マンションで31階に門司港レトロ展望室があります。

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旧大阪商船
大正6年建築。洋風2階建て。煉瓦のように見えるオレンジ色のタイルと、白い石状の帯が外観を覆い、中央部に八角形をした塔屋が印象的に配置され、当時は大陸航路の待合室として多くの旅人で賑わっていました。現在は門司港レトロの「海事・イベントホール」として、1階は多目的に使用できる海峡ロマンホール、2階はわたせせいぞうと海のギャラリーになっています。
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日本郵船と旧大阪商船
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JR門司港駅(国指定重要文化財)
JR門司港駅は、大正3年(西暦1914年)に建てられた九州で最も古い木造の駅舎で、駅としては全国で唯一国の重要文化財に指定されています。外観のデザインは、ネオ・ルネッサンス様式といい、左右の造りが対称的なのが特徴です。噴水のあるレトロ広場とともに美しい景観を創りだしています。今も現役で活躍する駅舎は、地域に人々の誇りともなり大切に利用されています。
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関門橋と火の山(下関)
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さてこの船なんだと思います。

海上保安庁の巡視船「ちくぜん」です。
所属:第七管区 福岡海上保安部(本部北九州市門司区)
配属:1983年9月28日
総トン数:3,200トン
速度  :22 ノット
乗員数 :43 名
船名:旧国名筑前国から

1999年に発生した北朝鮮による能登半島沖不審船事件においては、PLH06「ちくぜん」が出動。ヘリ搭載という利点を生かし、洋上で特殊警備隊(SST)が乗船した。また、20mm機関砲による警告射撃も行っている。
海上保安庁としては46年ぶりのことらしい。 

いやいや、そういうことではなくて、ちくぜんは海猿1、ドラマ1話に登場。仙崎はちくぜんで三管への転勤を知らされた。

ここまでくりゃ分かりますよね。
そう海猿3のロケだったんです。

関門海峡ミュージアムに向かっていたら、女性のキャーキャーいう声が。。。
そのまま妻子を置きダッシュ。

そしたらいるじゃないですか伊藤英明君が。
握手をしながらブリリアンサ門司港に入っていきました。
私は握手しようと思えばできたんですが、まず写真撮らんとね。

※写真はあるけど載せません。悪しからず。

時刻は1:30
のち追いついてきた妻は写真を見てショックを受けていました。
その後、妻はブリリアンサ門司港の玄関口に入っていき、そこで加藤あいがエレベーターに乗っているのをみたといっているんですが、半分信じていません。
その後、出てくるのを待つこと1時間30分。(付き合わされた。旅行の日程自体は私の趣味なので付き合ってやりました。)
やっと出てきたと思ったら、入るのとは違いえらいスピード。

出てきたときは、伊藤君があんな姿に。。。。。。
映画で確かめてね。
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ヘリが何回もちくぜんをかすめていました。
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旧門司三井倶楽部(国指定重要文化財)
大正10年(西暦1921年)、三井物産の社交倶楽部として門司区谷町に建築、その後所有が国鉄に移ってからは門鉄会館と呼ばれていました。今のレトロ地区と離れていたため、平成2年、JR門司港駅前に移築・復元されました。相対性理論で有名なノーベル物理学者アインシュタイン博士夫妻が宿泊された部屋も、当時の状態のままに保存されています。博士は港周辺を散策して、第二の故郷スイスの田舎に帰ったような安らぎを感じて、できることならここに永住したいとまでいわれたそうです。館内には他に、門司生まれの女流作家林芙美子の資料室や「レストラン三井倶楽部」などがあります。
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旧門司三井倶楽部付属屋(国指定重要文化財)
管理人住宅だそうです。
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c0119036_23395760.jpgバナナマン
門司でバナナマンといったらこっちらしい?

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c0119036_23401168.jpgバナナのソフトクリーム

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和布刈第二展望台の源平壇之浦合戦の壁画
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壇ノ浦
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門司
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関門橋
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下関
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巌流島(わかりにくいけど手前)
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門司港レトロ地区遠望
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手前が筑前
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門司遠景


次は下関

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by von-braun | 2009-09-12 01:18 | 九州・沖縄
いのちのたび博物館 九州旅行9
さあ、本日は九州旅行の最終日。
北九州市方面へ行きます。
まずは前回も行ったいのちのたび博物館へ
7:50出発、374km
8:49到着、441km
一回の旅行で二回も恐竜の展示を見に行くのも珍しいと思いますが、他の日程は私の趣味なので、いたしかたないか。

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いのちのたび博物館
一番乗りです。
ちょうど「恐竜ラボ2009 ~よみがえれ! 恐竜ワールド~」が開催中。
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ヴェロキラプトル
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ディノニクス
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何の化石だったやろ?
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プロトケラトプス
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アロサウルス
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コリトサウルス
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バリオニクス
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マジュンガサウルス
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アロサウルス
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ヒプシロフォドン
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バクトロサウルス
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プロバクトロサウルス
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昔はこういう風にたっていたと思われていました。
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ヘスペロサウルス
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ティラノサウルス


世界初公開のタルボサウルスの子どもの化石があったらしいが気づかなかった。。。。。


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こちらは常設展
一番大きいのがセイスモサウルス、その右がカマラサウルス、空を飛んでいるのがズンガリプテルス
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アロサウルス
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ステゴサウルス
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ティラノサウルス
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ペンギンモドキ
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プテラノドン
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タラッソメドン
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ティラノとトリケラトプス
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真ん中はマンモス
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上右からニタリクジラ、マッコウクジラ、マンボウ
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トリケラトプス
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トリケラトプスとティラノサウルス
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タラッソメドン
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プロトケラトプス
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ヴェロキラプトル
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これってよく飾り物にして土産なんかで売ってますよね。
ウニって知らなかった。。。。 パイプウニっていう名前らしい。
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by von-braun | 2009-09-10 23:50 | 九州・沖縄
福岡 九州旅行8
草千里を出たのが3:22分、228km。
福岡のホテル到着が5:55、374km。

さあ、もつ鍋食いにいくぞ!
またまた、るるぶに載っていた中州のもつ鍋一慶へ。
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おすすめの炙りもつしょうゆ味
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うまいし安い!!
平日なので空いていました。
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食事後キャナルシティーへ。
前に福岡来たときも寄ったけど、ホテルへの帰り道なので。
コムサストアーなるものがありました。
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盆を過ぎて久しいですが燈篭流しをしてました。
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屋台
さすがに腹いっぱいなので行きませんでした。
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福岡の夜景
屋台がずら~と並んでいます。

次はいよいよ最終日。北九州です。

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by von-braun | 2009-09-09 23:38 | 九州・沖縄
阿蘇 九州旅行7
今日の宿泊は福岡。熊本ICへ戻るんですが、同じ道を通っても面白くない。なので、阿蘇を通って帰ることに。

石の家出発13:56 170.4km
325号線を通って南阿蘇村へ。そこから阿蘇パノラマラインに入ります。その後国道57号線で熊本へという計画。
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阿蘇山高岳、中岳
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御竃門山
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南阿蘇村方面
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途中馬を放し飼いにしているところがありました。
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草千里か?とも思いましたが、確か、草千里は牛だったような。。。。 ここは馬しかおらんし柵があり中へも入れん。
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人も少ないような。。。。
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御竃門山
なんで樹木生えへんのやろ。
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阿蘇中岳噴火口方面を望む。
15:05、226kmロープウェイのところに到着。時間がないので火口には行きません。修学旅行で行ったことあるし。
子供には経験させたかったんやけど、福岡でもつ鍋が呼んでいるので。
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こちらが草千里ヶ浜
3:22、228km
後ろに見える山が阿蘇五岳のひとつ烏帽子岳。
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子供に牛のフンに気をつけるよう注意しました。
パパが修学旅行で来たとき、「草千里じゃなくてクソ千里やなあ~」とか言うてたんやと話すと喜んでました。
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でも結局フンを踏むことに。。。。。
乾いててよかった。。。
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草千里から杵島岳
15:40草千里発。
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外輪山
どっち方面やろ?
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中岳
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米塚
米塚は草千里下の草原にある可愛い小山であり、小さな火口丘の跡です。標高954mであるが山下から頂上までは約100m程度しかありません。頂上には直径約100m、深さ20m程度の火口跡が「くぼみ」として残っています。しかし、登山は禁止になっています。
 この山には伝説が残っています。それは、昔々 健磐龍命、収穫した米を積み上げてできたという伝説です。それゆえ「米塚」という名前が付いたのでしょう。それに、頂上のくぼみは、命が貧しい人達に米を分け与えた名残だと言われています。
くぼみが見えへん。。。。
ということで再度戻る。
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標高の高いところから撮影。
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杵島岳
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車中から米塚

さて、阿蘇を後にして、福岡に向かいます。

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by von-braun | 2009-09-08 22:19 | 九州・沖縄
高千穂 九州旅行6
熊本市のホテルを7:30分に出発し、途中寄り道をして10:00神話と伝説の町高千穂に到着。
熊本発が66.km、高千穂着151.7km

天孫降臨の地高千穂、観光ガイドも有料(300円)でした。
c0119036_21115622.jpg高千穂峡(名勝・天然記念物)
宮崎県北西部、五ヶ瀬川上流の高千穂町にある渓谷で、別名、五ヶ瀬川渓谷。太古の昔、阿蘇山の火山活動により噴出した溶岩流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流出し、急激に冷え固まってできた柱状節理の美しい渓谷。
五ヶ瀬川の浸食によってできたV字峡谷は、高いところで100m(平均80m)にも及ぶ。
昭和9年(1934年)に五箇瀬渓谷として名勝・天然記念物に指定。昭和40年(1965年)には祖母傾国定公園の一部に指定。
c0119036_2112439.jpg御橋の上からの高千穂峡と真名井の滝
c0119036_2113380.jpg真名井の滝

c0119036_21131248.jpgすまんのお~

c0119036_21131958.jpg20分ほど待ってボートに乗ります。3人乗りで30分1500円
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御橋
c0119036_21133461.jpg御橋と真名井の滝
c0119036_21134083.jpg滝に合わせて露出を調整してみました
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ボートから降りて渓谷沿いの遊歩道を遡ります。
c0119036_21142418.jpg滝見台からの真名井の滝
高さは17m。日本の滝百選に選ばれている高千穂峡のシンボル的な滝。

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鬼八の力石
神代の頃、高千穂郷一帯で悪行をはたらいていた災いの神“鬼八”は、七ッヶ池に棲む鵜ノ目姫を無理やり妻にしてかくまっていました。それを聞いた三毛入野命は四十四人の家来を引き連れて鬼八の住む乳ヶ岩屋に攻め入ったのです。鬼八が三毛入野命に追われる際、力を誇示するために投げて見せたのがこの巨石だと言い伝えられています。重さは約200トンもあります。
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仙人の屏風岩
高さは約70m。不老不死の術を得、神通力を持つ仙人にこそ成せる業のような造形美ということから名づけられた。
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玉垂の滝
神話によれば天村雲命という神が天孫降臨の際に、この地に水がなかったので水種を移した。これが天真名井で、そこから地下水となり、流れ落ちているといわれている。

c0119036_21151177.jpg日向夏のソフトクリーム

11:50高千穂峡を発ち、12:00高千穂神社着


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高千穂神社
御祭神は、上古高千穂皇神と申し上げ別名十社大明神という神号で親しまれています。十一代垂仁天皇の御代の御創建で、六国史にも掲載されている国史見在社です。天慶年間には高千穂十八郷八十八社の宗社として、特に往昔、武神、農産業、厄払い、縁結びの神として広く信仰を集め、鎌倉幕府をひらいた源頼朝は、畠山重忠を代参として天下泰平の祈願をし、皇室発祥の聖地に対する尊皇のまことを表しました。境内には、この時重忠が手植えした樹齢約800年の秩父杉(目通り1.8m、高さ55m)がそびえています。
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高千穂神社本殿(国指定重要文化財)
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鉄造狛犬(国指定重要文化財)
一対なのでもう一体あります。
鎌倉時代、畠山重忠が奉納。全国的にも珍しい鉄製の狛犬。


12:10高千穂神社を発ち、12:20天岩戸神社着

c0119036_2115513.jpg天岩戸神社
岩戸川を挟んで東本宮と西本宮がある。
こちらは西本宮。もともとの天岩戸神社。
大日霊尊(天照大神)を祀る神社で、社殿背後を流れる岩戸川断崖の中腹に弟素差男命の乱暴に怒り天照大神がお隠れになった天岩戸の洞窟があります。付近には、天浮橋、天香山や天照大神が天岩戸にこもられたとき、八百万の神々が集い神議ををされたという天安河原等があります。

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天安河原
西本宮から岩戸川を500mほど遡った所にある河原で、岩戸隠れの際に八百万の神々が集まって相談した場所であると伝えられている。河原の中央部にある仰慕窟と呼ばれる洞窟には天安河原宮があり、思兼神を主祭神として八百萬神が祀られている。
c0119036_2117273.jpgいたるところ積み石だらけです。

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13:10天岩戸神社を発ち、昼食に向かう。


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ふる里茶房 石の蔵 13:25着
こちらもるるぶに載っていた。
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c0119036_2118230.jpgるるぶお薦めの高千穂牛バーガー
セットの飲み物は日向夏のジュースを頼みました。

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阿蘇に向かう途中、こんなとこにもガンダムが。。。
しかもウルトラマンも犬夜叉もいる!一番右は胸に闘魂の文字が。  もしかしてアントニオ猪木!?

次は阿蘇
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by von-braun | 2009-09-08 03:18 | 九州・沖縄
通潤橋・うのこの滝 九州旅行5
九州2日目は宮崎に向かいます。
九州で唯一行ったことがない宮崎。
宮崎県の高千穂に行って九州制覇!!
まずは通潤橋に向かいます。
7:30熊本市内のホテル発。
8:30到着

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通潤橋(国指定重要文化財)
通潤橋は江戸時代の嘉永7年(1854年)に阿蘇の外輪山の南側、熊本県上益城郡山都町の五老ヶ滝川に架けられた水路橋。
「通潤用水と白糸台地の棚田景観」として国の重要文化的景観に選定されています。
通潤橋は放水で有名ですが、放水の本来の目的は、石管水路の内部にたまった泥や砂を除くためのものである。
最近では全国から通潤橋の放水風景を見に来る観光客がくなり、水漏れがよく見られるようになってきました。年間「数百回」行われている放水も、橋へ影響を及ぼしている可能性があり、通潤橋の放水回数は減らされています。放水休止期間(5月GW明け~6月末)に加え、7月は放水を1日1回という制限が設けられました。(※予約含み1日1回。土日祝日は観光放水1回のみで予約はできない)。
8月以降の放水は基本的に1日3回まで(観光・予約含む)です。放水料金は1回10,000円です。
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逆光やな~
c0119036_20583521.jpg通潤橋上部
流れから向こう側からこちら側に水を通しているようだ。

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ここから放水されます。
c0119036_2059630.jpg橋へ水を流す前の流れ。

c0119036_20591459.jpg反対側からの通潤橋

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9:05 国道218号線を宮崎方面へ
九州未踏の県宮崎に入る。かつて宮崎まで200mのところまで行ったことはあるが。。。。。。
9:25 うのこの滝到着

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うのこの滝(鵜の子)
まるで南米にでも迷い込んだ感じがします。ぽっかりあいた穴に滝が流れ落ちています。

c0119036_2102410.jpgうのこの滝は五ヶ瀬川支流、三ヶ所川にある滝で高さ40m、滝つぼの直径およそ 100m、面積は実に5000平方メートルを誇り、周囲は柱状節理に囲まれている五ヶ瀬町の名瀑。

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by von-braun | 2009-09-07 21:08 | 九州・沖縄
熊本市2 九州旅行5
14:00市内を離れ金峰山方面へ

宮本武蔵が籠って五輪書をかいたという霊巌洞へ行きます。

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岩戸の里公園には武蔵の巨大坐像があります。
頭デカすぎやろ!
徒歩数分ということなので、ここに車を止めて歩きます。
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曹洞宗雲巌禅寺
300円払って奥へ進むと五百羅漢があります。
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五百羅漢
1779年熊本の商人、淵田屋儀平が24年の歳月をかけて奉納したもので、どれ一つとして同じ表情はないとのこと。知人に似た顔が必ずあるといわれている。
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霊巌洞
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千数百年前から祀られていた、石体四面の馬頭観音、通称岩戸観音が安置されています。宮本武蔵が五輪乃書を書いたのもこの洞窟。
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15:20 金峰山頂上に向かいます。
景色がいいらしい。
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金峰山頂上より雲仙
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宇土半島、天草方面
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頂上にある金峰山神社(蔵王権現社)があります。金峰山は昔は飽田山(あきたやま)と呼ばれていたようですが、832年に淳和天皇が奈良県の金峰山蔵王権現を勧請なされてから、金峰山と改称されたと伝えてられています。
奈良の吉野で蔵王権現を祭っているのは金峯山寺(きんぷせんじ)なんやけどな。。。。。 「きんぽう」ではないし、「峰」ではなく「峯」なんですけど本家は。
金峯山寺はこちら
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熊本市方面
熊本って結構土地余ってますな。市街を離れると農地が目立ちます。
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中央緑の部分が熊本城
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熊本城
わかります?
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ヴィーナスブリッジよろしく南京錠が。。。

15:50 そろそろホテルへ行くか。

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路面電車
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16:20ホテル到着
2日目のホテルは綺麗でした。
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商店街
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郷土料理が食べられるというお店へ

でもちょっと早いので再度熊本城へ

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備前掘と飯田丸五階櫓
熊本城の堀で水堀はここだけ。
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長塀
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タコステーキ、山うに豆腐、一文字ぐるぐる、辛子れんこん、タテガミのセット
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チリトリ鍋
特に熊本名物でもなさそうだが、おいしそうだったので頼みました。

食後に熊本城の夜景を撮影に行きました。
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宇土櫓
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宇土櫓
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大天守
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熊本でも花火大会やってました。
この日山都町で火伏地蔵祭納涼花火大会をやってたらしいが、車で1時間かかるとこなんですが、見えるんでしょうか市内から。。。。

次は通潤橋など

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by von-braun | 2009-09-07 01:33 | 九州・沖縄
熊本市1(熊本城) 九州旅行4
伊丹からいよいよ熊本へ向かいます。

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7:05
空港のトイレで
赤ちゃん用のシートがあるのはいいんやけど、近くに手洗うとこないやん。
ということはや、大腸菌がいっぱいの手でベルトをはずしているわけや。
キタネ~

伊丹7:30-熊本8:35の便で熊本へ
9:30頃熊本城に到着
これで日本三名城(名古屋、大坂、熊本)は全部行ったことになります。大坂城が姫路城であったとしても全部行ったことになります。
二の丸駐車場に駐車していざ熊本城へ!
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左端の櫓が戌亥櫓
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西大手門
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西出丸と戌亥櫓
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南大手門
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奉行丸と未申櫓
c0119036_2342356.jpg熊本城天守閣
日本三名城のひとつ熊本城は、築城の名手でもあった加藤清正が、慶長6年(1601年 諸説あり)から7年の歳月をかけてで築城したものです。
大小天守閣をはじめ、櫓49、櫓門18、城門29を数え、城郭の広さは約98ha、周囲約5.3kmにも及ぶ。
清正流石垣と呼ばれる優美な石垣と、自然の地形を巧みに利用した高度な築城技術で知られています。
加藤家2代、細川家11代の居城として続いた後、明治になり廃城となりました。
西南戦争では薩摩の大軍を迎えて、50余日の籠城に耐え、不落の名城として真価を発揮しましたが、総攻撃の3日前、原因不明の火事により天守閣や本丸御殿など主要な建物を焼失してしまいました。
焼失を免れた宇土櫓など13棟の建造物が国の重要文化財に指定されています。
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首掛け石
熊本城築城の折、横手の五郎という怪力無双の若者が花岡山から首にかけて運んできた石と伝えられ、重さは1800kgあります。五郎は天草国人一揆の際に、加藤清正と一騎打ちの末に殺された木山弾正の遺児で、清正を父の仇と狙い、城内に人夫として入り込んでいましたが、見破られ殺されたと伝えられています。
五郎は殺されるとき井戸に落とされて、上から大石を投げ込まれますが、次々と石を受け止めこれを足場にして、どんどん上へ登ってきます。一計を案じた家臣が砂を流し込んでやっと生き埋めにしました。その後いろんなたたりが続いたので、横手村に祠を造り、横手大明神として祀られたそうです。
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大天守と小天守
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宇土櫓(国指定重要文化財)
本丸の西北隅、20mの高石垣の上に建つ3層5階地下1階、地上約19mの櫓で、天守並みの構造と大きさを誇ります。熊本城には天守とは別に、この規模の五階櫓が明治初年まで5棟(築城当時は6棟)存在しました。
宇土櫓の名前の由来は宇土の小西行長が関ヶ原で滅んだ後、小西の家臣の一部を清正が召し抱え、櫓をこの一団に管理させたことから、こう呼ばれたのではないかと言われています。
かつては宇土城天守閣を移築したとの説がありましたが、平成元年の解体修理の際にその痕跡が見つからなかったので、現在は否定されています。
宇土櫓の屋根には鯱が乗り、大小天守閣と並んで三の天守と呼ばれることもありますが、この鯱は旧来からあったものではなく、昭和2年(1927年)に陸軍が解体修理した際に城内に保管してあった鯱を取り付けたものです。この鯱は青銅製で高96cm、重さ約60kgあります。
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宇土櫓内部
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宇土櫓内部
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宇土櫓内部
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宇土櫓階段
城の階段って急ですな。
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宇土櫓
c0119036_2384145.jpg清正は文禄・慶長の役のとき、蔚山城で明・朝鮮連合軍を相手に、「泥水をすすり、死馬の肉を喰らう」という苦しい籠城戦を体験しました。その経験から熊本城を築城するにあたり、籠城の備えを万全にしました。井戸もそのひとつで城内に120以上掘られたと言われています。また、大量の米や海草の干物などを櫓に蓄え、薪にするため成長の早いエノキやムクなどをたくさん植えたと言われています。
確かに井戸は多かった。

c0119036_2384783.jpg熊本城の石垣は「清正流石垣」「扇の勾配」「武者返しの石垣」などと称されます。清正は穴生衆と呼ばれる近江の石工集団を使い石垣を積んだと言われています。その技法は「打ち込みハギ」と呼ばれ、石を叩いて積みやすく加工し、石と石の間には割り石を打ち込みより堅牢になるように、また手がかりを少なくし登りにくくする工夫をした積み方です。
大小天守の石垣の境目をよく見ると、小天守石垣は大天守石垣に寄りかかっているのがわかります。つまり大天守の石垣が完成したあとに小天守の石垣が積まれているのです。
また大小天守の石垣の曲線を比較すると、小天守の方が急な角度で立ち上がっています。両者の隅石(角の石)を比べると、大天守が同じ位の大きさの石を積んでいるのに対し、小天守は長方形の石を交互に積んでいます。これを算木(さんぎ)積みと言い、より急角度な石垣を積むことができるのです。1600年前後は全国的な築城ブームで、飛躍的に技術革新が進みました。つまり大天守成立後、小天守増築までの間に算木積みが開発されたのです。

c0119036_2385462.jpg熊本城は別名「銀杏城」といい、その名前はこの大銀杏に由来します。築城の際、清正が植えたと伝えられ、また、亡くなるときに、「この銀杏の木が天守閣と同じ高さとなったときに、何か異変が起こるであろう」と予言し、それが奇しくも明治10年(1877年)の西南戦争のときであったとも言われています。
清正は銀杏の実を食料とするために、この木を植えたとよく言われますが、残念ながらこの木は雄の木で実はつけません。
現在の木は西南戦争で燃えたあとに、芽吹いた脇芽が成長したもので、130年でこれだけの大きさに成長しました。

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本丸御殿内の模型
往時の本丸御殿には、藩主の居間、対面所(接客の場)や台所等の機能が備わっていましたが、大広間(対面所)、数寄屋(茶室)と大御台所が復元されています。
復元費用は建築面積:約2,161平方メートル。建築費:約41億8千万円。(発掘調査、設計等を含めた総事業費:約54億円)
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式臺之間から若松之間を望
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若松之間
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昭君之間
熊本城本丸御殿は畳数1570畳、部屋数53もある建物群でした。その中でもひときわ大きい建物が本丸御殿大広間で、ここは藩主の居間として使われたり、部下と対面する場所でもありました。大広間にはたくさんの部屋がありましたが、なかでも一番格式の高い部屋が「昭君の間(しょうくんのま)」と呼ばれる部屋です。この部屋には、中国の漢の時代のお話で、胡の国に送られた絶世の美女、王昭君の物語が描かれていました。
「昭君の間」は実は「将軍の間」の隠語であるという説もあります。加藤清正は豊臣秀吉子飼いの武将。その遺児である秀頼に万が一のときは、清正にはこの熊本城に秀頼を迎え入れ、西国武将を率いて徳川に背く覚悟があった。その際の秀頼のための部屋が「昭君の間」という説もあります。
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昭君之間の天井c0119036_2394079.jpg本丸からの大天守、小天守

c0119036_239476.jpg大天守を見上げる
c0119036_231017.jpgさてと、天守にでも登りましょうか。
左は蛇の目紋、右桔梗紋

加藤家の紋はもともと蛇の目紋。
清正が肥後に赴くにあたり、秀吉は前年に改易した讃岐の尾藤知定の武具・調度一切を清正に与えました。侍大将から領主への大出世ですが、それに相応しい兵力も道具も当然不足します。秀吉が親心から配慮したものでしょう。
その尾藤家の紋が「桔梗」。清正は桔梗紋の入った武具・調度をそのまま使い、自分の家紋にしたのです。また、清正は旧尾藤家の家臣300名余りを、自分の家臣として召し抱えていましたので、彼等も誇りを傷つけられることなく存分に働いたと言われています。

c0119036_23514240.jpg大天守内の階段

再建の大天守にはあまり興味がないが、登らねばならぬわけがある。

国指定重要文化財 細川家舟屋形があるからです。
旧肥後藩主細川氏が参勤交代のとき使用した御座船「波奈之丸」の、藩主の居間部分である。波奈之丸ははじめ細川忠興が豊前中津に在城した頃につくられ、以後何度も造り替えられたが、現存するものは天保10年(1839)に建造された第6代目である。明治4年の廃藩によって廃船となったとき、藩主の居間部分だけが保存され、数次の変遷を経て昭和38年再建天守閣内に収まった。舟屋形は一重二階建で、一階は主室と次の間に分れ主室は畳敷き、二階は板敷き一室である。一階の壁面は大和絵の山水、格天井は華麗な装飾画で飾られており、福田太華の画くところとされている。

残念ながら撮影は禁止

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大天守から本丸御殿
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大天守から宇土櫓
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宇土櫓
c0119036_23521185.jpgカキ氷を食べました。
熊本名物いきなり団子がのっています。

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地図石
「打ち込みハギ」と呼ばれる方法で築かれた熊本城の石組みの中で、ここだけは特異な石の組み方をしてあります。表面を平らに加工し、隙間なく組み合わされた構図から「地図石」と古くから呼ばれてきました。熊本城の縄張りを表すとも、日本の地図とも、また熊本の城下町の地図とも言われてきましたが、明和6年(1769年)に描かれた絵図には「御待合」と記されています。つまりここは来客を遊興の場である数寄屋丸へ案内するための待合所であったという説です。
また石が99個使われていることから、城の長寿を願ったまじないという人もいます。
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地蔵石
地蔵石と呼ばれるこの板碑は、ここにあった櫓門の礎石に使われていたと言われています。柱の下に線刻された仏像の一部が見えていたので、この櫓門は地蔵櫓門と呼ばれていました。

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数寄屋丸横の石段の下から6段目には梵字を刻んだ石を見ることができます。
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アップ

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飯田丸五階櫓
熊本城の本丸は「天守台」「平左衛門丸」「数寄屋丸」「飯田丸」「東竹の丸」「竹の丸」「西出丸」に分けることができます。
飯田丸の南西隅に建つ五階建ての櫓が「飯田丸五階櫓」です。飯田丸の名称は加藤清正の重臣、飯田覚兵衛が管理していたことから、こう呼ばれるようになりました。熊本城南面防衛の要であり、櫓と塀で囲い込まれ、内部には井戸や台所、鉄砲蔵までも設けられています。西面には西櫓門を備え、出撃することも可能です。つまり飯田丸だけでも小さな城の機能を持っているのです。その小さなお城の天守閣の役目を果たすのが飯田丸五階櫓だったのです。
明治になり熊本城に鎮台が置かれると、「不要建物」として取り壊されてしまいましたが、その優美な姿は古写真に残され、多くの市民が復元を望み、平成17年に復元が完成しました。

c0119036_23523895.jpg二様の石垣
熊本城の石垣は全て「打ち込みハギ」という工法で積まれています。この二様の石垣は同じ打ち込みハギでも隅石(石垣の角)の積み方に違いがあります。
傾斜の緩い方は同じような大きさの隅石を使っており、築城初期のものと思われ、傾斜が急な外側の石垣は、長方体の石の長辺と短辺を交互に組み合わせることにより、より急な角度を出すことができる「算木積み」という工法が開発された後のものです。
この違いは大小天守の石垣、竹の丸からの登り口にある元札櫓門跡の石垣に見ることができます。
ちなみに二様の石垣の外側は、細川忠利の代に本丸御殿増築の際、積み足したものです。

c0119036_23525178.jpg二様の石垣


c0119036_23531167.jpg本丸
再度数奇屋丸に戻って重要文化財の櫓群を目指す。
戻らなくても行けるのですがせっかくなので通ってないところを通りたい。
その際青空に天守が映えていたので撮影。
でも本丸に行くこのスロープ。便利やけど邪魔。こういう近代的なものは解体していただきたい。少々遠回りでも昔からの道をいこうぜ。

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闇り通路
本丸御殿の地下です。
本丸御殿は2つの石垣を跨ぐように建っているため、地下通路を有する特異な構造となっています。その地下通路は昼間でも暗いことから、闇り通路と呼ばれています。闇り通路の入り口は闇り御門と呼ばれ、その上部の屋根は唐破風となっています。
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不開門(国指定重要文化財)
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不開門
この門は城の鬼門である北東に位置します。昔の陰陽道ではこの方角は塞いでも、開け放してもいけないとされ、門は造るが普段は閉ざし、不浄なものを運ぶときだけこの門を開いたと言われています。
現在は入城口として使用しており、伝統工芸館への近道です。国の重要文化財に指定されています。

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五間櫓(国指定重要文化財)
熊本城本丸内東竹の丸には、高石垣の上に西南戦争の火災にも焼け残った櫓が建ち並び、国指定の重要文化財に指定されています。
櫓は古くは「矢倉」と書き、武器庫から発展したものです。ここの櫓も普段は倉庫として使われていたと思われますが、外側には「石落し」や「狭間」があり、いざというときには戦える構造となっています。
また、熊本城の櫓の名称は単に大きさによって「七間櫓」や「十四間櫓」と呼ばれるものや、管理していた人の名前に由来する「源乃進櫓」「宇土櫓」など、また建っている方角により「戌亥櫓」「未申櫓」と呼ばれるものなどがあります。中には「田子櫓」のように収納していた木製の容器の名前がついた櫓もあります。
なお、熊本城ではこの東竹の丸の櫓群以外にも「宇土櫓」「長塀」「監物櫓」が国の重要文化財に指定されています。
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五間櫓と北十八間櫓(国指定重要文化財)
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北十八間櫓(国指定重要文化財)
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北十八間櫓と東十八間櫓(国指定重要文化財)
屋根が高い方が東十八間櫓
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東十八間櫓(国指定重要文化財)
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平櫓(国指定重要文化財)
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源之進櫓(国指定重要文化財)
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四間櫓と十四間櫓(国指定重要文化財)
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十四間櫓、七間櫓と田子櫓(国指定重要文化財)
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源之進櫓と四間櫓、十四間櫓、七間櫓と田子櫓
源之進櫓以外は繋がっています。中で繋がっているかどうかは知りませんが。
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しかしまあ、この辺は空いていますな。昨年度の入城者は熊本城がトップだったらしいけど。。。。。
確かに大天守は混んでいました。本丸御殿も混んでました。
でも、あんたら何しにきたん?
再建した建物だけ見て帰るんかい!
もっと勉強してから来いよ。
この櫓の方が価値あんねんで。重要文化財やねんで!
c0119036_23292370.jpg二様の石垣と大天守

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これって石垣つくってさらに拡充したように思うんですが、何の説明もありませんでした。
c0119036_233218100.jpg竹の丸から飯田丸五階櫓

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竹の丸から飯田丸五階櫓
c0119036_23324246.jpg竹の丸から大天守
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東の平御櫓から西の馬具櫓まで約242mの塀が続いています。現存する城郭の塀の中では最長を誇ります。白漆喰に黒の下見板を張り、桟瓦(さんがわら)が乗っています。内側には凝灰岩の控え柱が立ち貫で固定してあります。
過去に何度も修理が行われていますが、いつの時代かの修理の際に、石落としや狭間が失われてしまいました。平成3年の台風19号により約140mに渡り倒壊し、その後の修理でも石落としや狭間の詳細な位置や数が不明なため、旧状に復することなく現在に至っています。
春には、塀の内側から桜の花が川面に映り、また、秋のお城まつりでは長塀前河川敷で、県指定重要無形文化財に指定されている武田流騎射流鏑馬の披露が行なわれます。
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竹の丸より源之進丸(国指定重要文化財)
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竹の丸より国指定重要文化財の櫓群
c0119036_23331741.jpg東十八間櫓(国指定重要文化財)
c0119036_23334341.jpg再度戻ってきて大天守

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宇土櫓(国指定重要文化財)
c0119036_2334199.jpg宇土櫓(国指定重要文化財)

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加藤神社
明治4年(1871年)の神仏分離令により、本妙寺から移されて、城内の宇土櫓前に創建された神社です。錦山神社が正式な名称ですが、ご祭神が加藤清正公であることから、一般に加藤神社と呼ばれています。明治7年(1874年)に熊本鎮台が城内に置かれたことから、城外に遷座しますが、昭和37年(1962年)道路改修のため再び城内の現在地に遷宮しました。
清正に殉死した大木兼能、朝鮮人の金宦を合祀しています。
c0119036_23343854.jpg加藤神社より宇土櫓
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加藤神社
重文で監物櫓と長塀の外観がまだ写真におさめていないが両方とも歩いていくには遠い。また、12時半近くなったので車で移動し、ついでに昼食をとることに。昼食は熊本ラーメンです。
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監物櫓(国指定重要文化財)
長岡図書、別名細川刑部本邸の中にあったので、「長岡図書預り櫓」と呼ばれていましたが、明治になり陸軍が管理するようになってから、隣の長岡監物邸と取り違えて「監物櫓」と登録してしまい、それが定着してしまったものです。
監物台樹木園の中にあります。
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るるぶ九州ベストセレクト'10に載っていた元祖熊本ラーメンこだいこへ。うちの下の子はお気に召さないようでしたが、おいしかったです。下の子はしょうゆか塩しかよう食べへんのですわ。
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ちょっと戻って坪井川沿いへ。
ここからは重文の長塀がよく見えます。
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c0119036_23353732.jpg加藤清正公銅像
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うまや橋方面から長塀


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by von-braun | 2009-09-04 00:41 | 九州・沖縄
鹿児島
 鹿児島へ行ってきました。
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 大阪(伊丹)空港で

 ひょっとしてこれで行くの? 
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 シャッター速度 1/100
 なかなか頑張ってるやん。
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 シャッター速度 1/4000
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 淡路島上空

 伊丹を飛び立ち、西宮北口、甲子園の上空を過ぎ、神戸空港の真上を飛んでました。空港の真上って飛んでいいの?
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 鹿児島中央駅に隣接するアミュプラザ鹿児島の観覧車「アミュラン」
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 鹿児島港本港からの桜島 AM:6:39
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 6:43
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 6:45
c0119036_21153576.jpg
 6:58
 前日、南岳(写真右)で小規模な噴火がありました。右側の山頂にかかっているのは雲ではなく噴煙。
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 鹿児島ラーメン
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 路面電車

 路面電車の走行路?は、大体どこでも車走ってますよね。でも、鹿児島は走ってないんです。
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 東京タワーもどき
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 知覧特攻平和会館
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 海より引き上げられた零戦。 館内は撮影禁止なので、外から撮りました。
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 初等練習機T-3

 別に特攻と関係ないやん。。。。
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 一式戦闘機「隼」
 皇紀2601年(昭和16年=1941年)に正式採用されたため、一式となった。ちなみに零戦=零式艦上戦闘機は皇紀2600年採用。
 現在、陸上自衛隊の74式戦車、90式戦車などは西暦の下2桁で名づけられています。

 数年前まで白浜に零戦あったんやけど、今は呉の大和ミュージアムにあるようです。
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 富屋食堂

 富屋食堂は、特攻の母として慕われた「鳥浜トメ」の食堂。
 富屋食堂HP

 お国のために散っていった方たちは、今の日本をどう思うのでしょうか。。。。。
 アメリカの都合のいいような歴史を教えられ、アメリカの御用聞きに成り下がっている日本を。。。。
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 知覧重要伝統的建造物群保存地区
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 武家屋敷のほかにもこんな建物がありました。
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 南洲神社

 西郷隆盛(号:南洲)を祭る神社
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 西郷隆盛の墓
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 南洲公園からの桜島
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 1月12日で閉館予定でしたが、3月いっぱいまで延長。指宿のほうは閉館しています。
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 篤姫役の宮﨑あおいが着た「朱地疋田に花柄格子金襴振袖打掛」
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 和宮役の堀北真希が着た「紅地亀甲地紋に向い蝶柄有職模様袿」
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 フェリーで桜島へ
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 んっ、潜水艦や。なだしおか?
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 マラソン大会でもあるのでしょうか?マラソンランナーがたくさん走ってました。 走った後は足湯で疲労回復。
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 湯之平展望所からの鹿児島市街
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 御岳

 桜島の山は総称して御岳というそうです。北から北岳、中岳、南岳とあり、他にもたくさんの側火山があります。

 ここが通常車でいけるところの最高地点のようです。阿蘇みたいに火口付近まで行けると思ってたんやけど。。。。。
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 開聞岳(薩摩富士)
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 有村溶岩展望所からの南岳
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 なぜか溶岩に1円玉がはさまれています。
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 道の駅たるみず湯っ足り館からの桜島
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 こちらからは噴煙が良く見えます。
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 霧島神宮
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 けっこうな人盛りです。
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 結婚式もしてました。
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 勅使殿から拝殿を望む

 大体の神社って拝殿へはいけるんですけど、霧島神宮は勅使殿までしか行けません。勅使殿からは登廊下を登って拝殿へいきます。拝殿の奥に本殿があります。
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 霧島神宮は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を祀ります。瓊瓊杵尊は天照大神の孫。すなわち「天孫降臨」の天孫です。
 明治以降、天皇、皇室の祖先神や大和平定に功績のある特定の神を祭神とする神社の一部が、社号を「神社」から「神宮」に改めました。もとは霧島神社で、官幣大社。

 ところで神宮と聞いてどこを思い浮かべます?平安神宮?明治神宮?石上神宮?鹿島神宮?香取神宮?
 いえいえ神宮と聞いて思い浮かべなければならないのは伊勢神宮です。格が違いますよ。
 
 そもそも単に「神宮」といった場合、伊勢神宮のことを指します。というか伊勢神宮の正式名称が「神宮」なんです。伊勢神宮HP参照。
 ゆえに、神宮球場なんていうのはおこがましい。明治神宮球場と言え!
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 霧島町蒸留所
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 霧島連山
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 さつま揚げ
 うまかった。
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 焼酎

 芋やら、麦やら、米やら違いが全く分かりません。 なので、こだわりもない。
 ビールがまずいのだけは分かります。どこがうまいのか全く分かりません。コーラの方が絶対うまいって!
 日本酒も匂いで吐き気を催します。でも、カクテル、チュウハイ、焼酎、ワイン、ウイスキー等は大丈夫。
 最近飲む機会が多いので、ちょっと強くなったかも。。。。。

 そうそう、土産屋にさつま戦隊カゴシマンなるものがありました。広島には平和戦隊ヒロシマンがありましたし、ひょっとしたら、トクシマンやフクシマン、オカヤマンなんてのもあるんでしょうか?
 ちなみに和歌山はワカヤマンではなく、紀ノ國戦隊 紀州レンジャーてことになってます。 秘密戦隊ゴレンジャーのパクリやからこっちの方が忠実といえば忠実か?
 でも紀ノ國と紀州を両方使うのってどうよ?
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by von-braun | 2009-01-21 00:23 | 九州・沖縄