カテゴリ:甲信越( 13 )
ビーナスライン

松本からビーナスラインを通って帰ります。
10:43松本発
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霧の駅から
霧の駅
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きのこ汁
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富士見台
富士山はま~ったくみえません!
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白樺湖
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白樺湖畔
途中まではずーっと霧の中を走っていました。
13:21白樺湖を発
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14:10諏訪湖SA到着
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by Von-Braun | 2011-09-19 22:49 | 甲信越
松本城
松本城

さて、いよいよ松本城へ登りますか。
天気予報では一番天気が良かったのですが、しつこいようですが、全くあてになりません。最近の予報は。
一番天気が悪く、雨。

少々気落ちしながらも松本城へ。
開城は8時半なので、それまで内堀の周りを歩きました。
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天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓が国宝
城跡は史跡

各部の名称は以下の通り
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創建時の松本城は辰巳附櫓と月見櫓がなく、天守と乾小天守が渡櫓で結ばれた連結式でした。最上階は犬山城のように廻縁がある望楼式天守でしたが、松本は冬季は雪が多く寒いので、役に立たないばかりか、傷みが激しくなる。そこで、廻縁をなくし囲ってしまったといわれています。最上階が不自然に大きいのが分かるでしょうか?
1630年代、城主松平直政は、天守に辰巳附櫓、月見櫓を増築しました。

天守へは渡櫓から入ります。
入り口を入ると乾小天守にまず行きます。
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乾小天守
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天守一階
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松本城は一番城を大事にしているのではないでしょうか。手すりは竹で、くくりつけています。大体は据え付けているんですけどね。大事にしている証拠です。
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天守から月見櫓、辰巳附櫓
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天守から渡櫓、乾小天守
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天守3階
この階は天守二重の屋根裏に設けられているので窓が全くない。明かりは南側千鳥破風の木連格子からわずかに入るだけである。そのため当時は「暗闇重」と呼ばれていた。
外部からの遮蔽が強いので有事には「武者溜」に当てる、との説もあるが普段は倉庫であった。この階から4階への階段は対角線の位置に2箇所ある。
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天守四階の「御座所」
裏から
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天守最上階(6階)
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天守最上階に祀られる守護神「二十六夜神」。
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天守5階
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辰巳付櫓の花頭窓
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月見櫓
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月見櫓から天守
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月見櫓、辰巳付櫓、天守
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月見櫓
左の柵のあるところにかつて水門があった。
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入り口となっている渡櫓
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出口は月見櫓の下。
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乾小天守
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渡櫓
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辰巳付櫓
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天守
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なわて通り
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中町通り

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by Von-Braun | 2011-09-17 21:12 | 甲信越
松本城 夜景
さあ、今回の旅行のメイン
松本城です。
まずは夜景から。
この夜景を撮るため、松本城へ歩いていけるところへ泊まりました。

国宝四城、最後の城です。
学生時代スキーに行く際、何度も外から見ていましたが、ゆっくり見るのは初めてです。
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姫路城はこちら
犬山城はこちら
彦根城はデジタル化前


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by Von-Braun | 2011-09-17 19:24 | 甲信越
真田氏本城跡
真田氏本城跡

この城は真田山城、松尾新城、住連寺城、十林寺の城山などといわれるが、真田氏の本城にふさわしい規模の城であることから、史跡の名称としては「真田氏本城」としており、旧菅平有料道路を、十林字から熊久保へ通ずる道路が横切った北側の、尾根の突端にある。
特徴的なこととして、真田町内の他の城跡に比べ、広大な規模をもっていること。眼下に、小県と北上州を結ぶ上州道を一望におさめることができること。山城に必要な水の手が、熊久保集落の上方の山地から、本城に続く尾根づたいに水を引いてきて、本郭の近くまで引き込んでいることなどがあげられる。
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真田の里
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上田の真田氏ゆかりの地をめぐりましたが、
真田庵はこちら
高野山蓮華定院はこちら

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by Von-Braun | 2011-09-16 22:05 | 甲信越
上田城
上田城には行く予定はなかったのですが。。。。。。
やっぱり好きなんですよね真田三代。

上田城は、真田昌幸により、1583(天正11)年に築城された平城。
真田昌幸が二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦が行われたことで有名。
江戸時代には上田藩の藩庁が置かれ、真田氏が信濃国松代へ転封された後は仙石氏が入城し、破却された上田城を現在のような姿に再建した。仙石忠政により、再建された本丸の3棟の櫓(南櫓、北櫓、西櫓)など建物の外壁は煤と柿渋で防水した板を用いた下見板張の黒い外観である。
明治以降は、破却や城外への移築が行われて城内には石垣と櫓が1棟残るのみであったが、昭和期に、移築されていた本丸の櫓2棟が元の位置に復元され、平成期には櫓門や塀などが木造復元されている。

そういえば、真田幸村(信繁)をNHK大河ドラマで!という署名がまわってきていたような。。。。こちら
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上田城
左から南櫓、東虎口櫓門、北櫓
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真田神社
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当社は戦国時代の天正11年(1583)上田にこの平城を築き城下町を造った真田父子を主神とし、江戸時代に民政を尽くした仙石・松平の歴代藩主を祭神とする神社であります。殊に10数倍の大軍を2回に渡り撃退して日本一の知将と謳われた真田幸村の神霊は、今も智恵の神様として崇められています。
真田神社
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こちらのお守りは受験生に人気。2度にわたって徳川家の大軍を敗走させた歴史にちなみ、「落ちない」御守りとして、「不落城」と命名した。
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真田井戸
この井戸からは、抜け穴があって城北の太郎山麓の砦に通じていた。敵に包囲されてもその抜け穴より兵糧を運び入れるにも、城兵の出入りにも不自由しなかったという。
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上田城の堀
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長野県宝 上田城 西櫓

上田城西櫓は、江戸時代初期の寛永3~5年(1626~1628)にかけて真田(さなだ)氏の後に城主となった仙石(せんごく)氏によって建てられ、上田城で建築当初のままに残されている唯一の建物です。
建物の大きさは、1階が桁行(けたゆき)9.85m(5間)、梁間(はりま)7.88m(4間)の大きさで、2階は桁行8.64m、梁間6.66mと少し小さくなっています。
外壁は、雪の多い地方で用いられる腰下見板(こししたみいた)が張られ、壁の上部から軒廻りにかけては防火のために白漆喰(しっくい)で柱などを塗りごめた大壁(おおかべ)造りとなっています。
窓は縦格子(こうし)の付いた突き上げ板戸です。
建物の内部は、中央に丸太材の芯柱が立ち、仙石氏の「仙」の字の焼印が押されています。
壁は柱を残して漆喰を塗った真壁(しんかべ)造りで、幕末期に補強のために取り付けられた筋交(すじかい)が見られます。
屋根は、丸瓦と平瓦で葺(ふ)いた本瓦葺で、鬼瓦には最後の城主となった松平(まつだいら)氏の五三桐紋がついています。
なお、鯱(しゃち)瓦は昭和3年に徴古館(ちょうこかん)として改修された際に寄付されたもので、江戸時代の上田城の櫓には鯱瓦は無かったようです。
西櫓は、上田城本丸の西虎口(こぐち)(出入口)を固める重要な櫓でしたが、戦争のなかった江戸時代には、もっぱら倉庫として使用されていました。
また、櫓の名称も江戸時代には特になく、「西櫓」の名称は、南櫓と北櫓が復元された後につけられた新しい名称です。
上田城西櫓は、昭和18~24年に移築復元された南櫓、北櫓とともに、長野県内では数少ない江戸時代初期の城郭建築の貴重な遺構として、昭和34年に長野県宝に指定されました。

県宝というのは珍しいですね。長野にしかないんと違いますか。
国宝、国指定重要文化財、県宝、県指定重要文化財の順?
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真田石
上田城本丸東虎口櫓門の正面右手の石垣にある.高さ約2.5m・横約3mの大石.真田昌幸が築城の折り柱石として据えたものと伝えられ真田石と呼ばれている.真田信之が松代へ転封に当たって父の形見に持ち運ぼうとしたが、大勢の人の力をもってしてもびくとも動かなかったと伝えられる。

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by Von-Braun | 2011-09-14 19:05 | 甲信越
北向観音
北向観音

北向観音は、御本堂が北に向いている全国でも珍しい霊場で「厄除観音」として南向の長野の善光寺に詣うで、「未来往生」を、また北向の観世音に参詣し、「現世利益」を祈願しなければ「片方だけでは片詣り」になるとされています。

北向観音堂は天長二年(西暦825年)に慈覚大師によって開創されました。安和二年(969年)平維茂は一山を修理し三楽堂、四院、六十坊を増築したと伝えられます。

寿永元年(1182年)木曽義仲の戦乱により焼失し、安楽寺の八角三重塔、常楽寺の石造多宝塔を残すのみとなり、その後、源頼朝の命により復興、県長四年(1252年)塩田陸奥守北条氏により再々興され現在に至っております。

御本堂が北に向いてるのは全国でも珍しく、これは観音様が「北斗星が世界の、よりどころとなるよう我も又一切民衆のよりどころとなって済度をなさん」という、お告げによるものです。

以来法灯の盛衰はありましたが南向きに建てられている善光寺に詣で「未来往生」を、北向きに建てられてる北向観音にお参りし「現世利益」を願わなければ、片参詣りと言われている霊場です。

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本尊は千手観音菩薩で、昔厄除の観音様として親しまれています。
お堂の右側には、桂の大木(愛染桂)があります。また、この木の下に別所三楽寺(長楽・安楽・常楽)の一つである長楽寺があったといわれています。
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愛染桂
観音堂の境内にこの地方ではめずおきらしい大木のカツラの雄木があります。高さ22m、目通り5.5m、枝張り14mという大きなものです北向観音の霊木とされています。
近年境内にある愛染堂とこのカツラの木を結んで「愛染桂」といって若者たちに縁結びの霊木としてしたしまれています。川口松太郎の名作「愛染桂」はこの木からヒントを得たという説があります。
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不動堂
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温泉薬師瑠璃殿
 観音堂の西方崖の上に建てられた薬師堂で「医王尊瑠璃殿」とよんでいます。はじめて建てられた年代は明らかではありませんが、現在の建物ははじめの建物が焼けた後1809年(文化6年)に地元の薬師講の人たちによって再建されたものです。温泉の効き目にあわせて病気を除き解脱するという深い温泉薬師信仰によるものです。「瑠璃殿」とは薬師如来を瑠璃光如未と呼ぶところからとった名です。

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by Von-Braun | 2011-09-10 22:34 | 甲信越
別所神社
常楽寺のとなりに別所神社があります。
特に国宝、重要文化財がないので特に興味はなかったのですが、もののついでに行って来ました。
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道すがら、ヘルメットをかぶったお地蔵様が。。。。
実は、石材店の地蔵です。


別所神社

別所神社は、別所温泉の北方、常楽寺に隣接し、塩田平をはじめ遠く浅間連峰が望める小高い丘の上にあります。
社名は、古くから「熊野社」といわれていました。社伝によると、紀州(和歌山県)の熊野本宮大社から分祀されたといわれています。以来ずっと熊野社でしたが、明治11年(1878)に別所神社に改められました。

本殿は一間社隅木入春日造瓦葺。
数ある棟札の内、天明八年(1788)のものが今の建物に相当するものと考えられています。大工棟梁は末野庄兵衛安定とあり、上田房山に住み、塩野神社本殿・拝殿をはじめ、安楽寺の山門など社寺建築に多くの業績を残した末野氏の一族です。
本殿は18世紀の神社本殿として、規模も大きく、建築様式や、建物を飾る彫刻も華やかで、建築物として優れ、当初の形式がよく残され、文化財として保存価値の高いものです。

なお本殿の背面に小さな祠が三基祀られています。これは神社入口の鳥居の額に「本朝縁結大神」と掲げられているように、縁結びの神を祀ったもので、本殿よりおくれて祀られたものと考えられますが、民俗資料として価値があり、本殿と共に貴重なものです。
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拝殿と神楽殿
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本殿 
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別所神社の上に2つならんで社がありました。
なんやろ?
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別所温泉
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上田市街方面

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by Von-Braun | 2011-09-10 22:16 | 甲信越
常楽寺
別所温泉にある

常楽寺は北向観音の本坊であり、ご本尊は『妙観察智弥陀如来』。

常楽寺は北向観音堂が建立された天長二年(825年)、三楽寺(※)の一つとして建立されました。
正応五年(1292年)四月、信乃国(信濃国)塩田別所常楽寺で書写されたと記述のある「十不二門文心解)」が金沢文庫に遺されており、また、本堂裏の北向観音の霊像が出現した場所には、弘長二年(1262年)の刻銘のある石造多宝塔が保存されていて、鎌倉時代に天台教学の拠点として大いに栄えた常楽寺の歴史を証する貴重な文化財となっています。

※長楽寺、安楽寺、常楽寺を指して「三楽寺」といった。現在、長楽寺は焼失し、北向観音堂の参道入口に碑を遺すのみとなっています。
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石段を昇ると全長20メートルほどの船の形の赤松があり、堂々としたその姿に樹齢300年の重みを感じます。

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常楽寺石造多宝塔(重要文化財)

重要文化財 常楽寺石造多宝塔

種別      建造物・石造文化財
所在地    上田市大字別所温泉二三四七番地
指定年月日  昭和三六年三月二三日
材質・寸法  安山岩・総高二七四センチメートル

銘文によれば、天長二年(八二五)、火焔の中から北向観音がこの地に出現した。そこで、木造の宝塔を建立したが、寿永年間(一一八二~八四)に焼失した。弘長二年(一二六二)本塔を造立し、金銀泥で書かれた一切経一部を奉納したとある。
石造多宝塔の類例は全国的に見ても少なく、特に重要文化財指定となると、本塔と滋賀県の小菩提寺の二基にすぎない。さらに本塔は、笠や裳階が鎌倉時代の多宝塔の典型を示しており、全国的に見てもたいへん貴重な遺例である。

                              平成五年三月  上田市教育委員会


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by Von-Braun | 2011-09-10 21:43 | 甲信越
大法寺三重塔
大法寺は、長野県小県郡青木村にある天台宗の寺院。山号は一乗山。開基は藤原鎌足の子・定恵と伝える。本尊は釈迦如来。
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本堂
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観音堂と三重塔
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国宝大法寺三重塔
惣門から参道を登ると正面に観音堂があり、西北の小高い丘に三間四方の檜皮葺「三重塔」が中空に舞う鶴の羽のような優雅な姿をみせます。
東山道を旅する人々は「見返りの塔」といい塔の姿があまりにも美しいので、思わずふり返るほどであるという意から、つけられたであろうと言われています。
この塔の美しさには、周囲の風光との調和を見落とすこともできません。
平地を見おろすことのできる丘の中腹にありその周囲をめぐり歩くにつれて、さまざまな角度から眺めることができます。
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三重塔(国宝)
この塔は、正慶二年(1333年)鎌倉時代から南北朝時代に造営されました。
第二層の木組みの裏側に書かれた墨書から、この塔は大阪の天王寺と関係の深い技術者たちの手によって造られたと考えられています。
塔は初重が特に大きいのが特徴で、これがこの塔の最も大きな特色で二重、三重で組物を三手先という一番正規な組み方としています。
初重だけは、少し簡単な二手先にしたので、その分だけ平面が大きくなっていて、形に変化がつきおちついた感じになっています。
このようなやり方はこの塔のほかは奈良の興福寺三重塔があるだけで、きわめて珍しいです。
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「三重塔の規模」
高さ 礎石上端から宝珠上端まで六一尺二寸七分(18.56m)
建坪 初重 四坪0六・二重 二坪三五・三重 一坪七五
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上田市街方面

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by Von-Braun | 2011-09-03 19:05 | 甲信越
善光寺
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仁王門
仁王門は宝暦二年(1752年)に建立されましたが、善光寺大地震などにより二度焼失し、現在のものは大正七年(1918年)に再建されました。この門には善光寺の山号である「定額山」の額が掲げられています。
仁王像並びに仁王像背後の三宝荒神・三面大黒天は共に高村光雲・米原雲海の作であり、その原型は善光寺史料館に展示されています。

石畳
境内地入り口から三門下までの400メートルに敷かれている石畳は、正徳四年(1714年)に江戸中橋の大竹屋平兵衛より寄進されたものです。古来より7777枚あるといわれています。平兵衛は寄進後出家し「道専」と名乗り、そのお墓は善光寺山内の向仏坊の墓地に現存しています。
本堂から三門にかけての石畳は、正徳三年(1713年)、腰村西光寺欣誉単求により寄進されたものであります。
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山門(三門)重要文化財
寛延三年(1750年)に建立された二層入母屋造りの門です。屋根は大正年間の葺き替え時に檜皮葺きとなりましたが、平成十四年から十九年にかけて行われた平成大修理において、建立当時と同じサワラの板を用いた栩葺き(とちぶき)に復原されました。
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楼上には輪王寺宮筆の「善光寺」と書かれた額が掲げられています。これは通称「鳩字の額」と呼ばれており、3文字の中に鳩が5羽隠されています。更に「善」の一字が牛の顔に見えると言われ、「牛に引かれて善光寺参り」の信仰を如実に物語っています。
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大勧進
大勧進の住職は貫主(かんす)と呼ばれ、大本願の上人(しょうにん)と共に善光寺住職を兼ねています。
貫主は代々比叡山延暦寺より推挙される慣習になっており、毎朝善光寺本堂で行われるお朝事(お勤め)に出仕されます。
大勧進には本堂の万善堂の他、無量寿殿・不動堂・地蔵八角円堂・紫雲閣・宝物殿・僧侶が修行をする聖天堂などがあります。また、奥書院は明治天皇御巡幸以来、大正天皇、昭和天皇両陛下の御駐泊により、昭和八年に行在所に指定されました。
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本堂(国宝)
現本堂は宝永4年(1707年)の再建。高さ約27メートル、間口約24メートル、奥行約53メートルで、国宝に指定されている木造建築の中で3番目に大きいといわれています。T字形の鐘をたたく撞木に似た撞木造りという構造を採用しています。
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本道から三門
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内陣
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びんずる尊者
本堂正面から外陣に入りますと最初に目にとまる像が、びんずる(賓頭廬)尊者です。お釈迦様の弟子、十六羅漢の一人で、神通力(超能力に似た力)が大変強い方でした。俗に「撫仏」といわれ、病人が自らの患部と同じところを触れることでその神通力にあやかり治していただくという信仰があります。
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経蔵重要文化財
宝暦九年(1759年)に建立された宝形造りのお堂です。内部中央には八角の輪蔵があり、その中には仏教経典を網羅した『一切経』が収められています。輪蔵に付属している腕木を押し回すことでこの『一切経』を全て読んだことと同じ功徳が得られるといわれています。また、経蔵内には輪蔵を考案した傅大士、並びに伝教・慈覚の両大師像が祀られています。
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徳川将軍大奥供養碑
三代将軍家光の夫人本理院、乳母春日局ら、江戸初期の大奥関係者の供養塔です。善光寺如来様は幕府の女性から篤く信仰され、江戸で出開帳が行われた時には、前立御本尊が江戸城に迎え入れられたこともありました。
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松代藩真田家の古塔
江戸時代に善光寺の外護職を務めていた松代藩の藩主、真田家の供養塔。寛永・寛文年間の供養塔が並んでいます。
松代藩は善光寺を保護するとともに篤く信仰していました。境内東部には重臣らの供養塔も現存しています。松代と善光寺とのご縁は今も深く、7年に一度の善光寺御開帳の折には、本堂前に建つ大回向柱の用材を松代町が毎回寄進しています。
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高尾燈籠
江戸吉原の三浦屋四郎左衛門が奉納した燈籠です。三浦屋は吉原にあった遊郭で、遊女高尾太夫の供養塔として建立されたと昔より言われています。
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真田家関係古塔
真田家重臣の古塔
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善子さんと光子さん
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鐘楼・梵鐘(重要美術品)
嘉永六年(1853年)に再建された檜皮葺の建物で、南無阿弥陀仏の六字にちなんで6本の柱で建てられています。
梵鐘は寛文七年(1667年)鋳造の名鐘であり、重要美術品に指定されています。毎日午前10時から午後4時の毎正時に時を知らせる鐘として、更に長野オリンピックの開会を告げた鐘として親しまれています。
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日本忠霊殿・善光寺史料館
戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまでに亡くなられた240万余柱の英霊を祀る、我が国唯一の仏式による霊廟です。御本尊は秘仏の善光寺如来様の分身仏です。(高村光雲門下 関野聖雲作)
1階には善光寺所蔵の什物を展示する「善光寺史料館」が併設され、絵馬などを通して全国に根付く善光寺信仰の歴史を垣間見ることができます。
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釈迦堂
世尊院の小御堂である釈迦堂の御本尊は、鎌倉時代の作とされる我が国唯一の等身大(1.66メートル)の銅造釈迦涅槃像(重要文化財)です。戦国時代には善光寺の御本尊様・御三卿像・御印文と共に全国を流転しました。
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大本願
大本願の創建以来、尼公上人をもって住職とし、代々皇室関係の方々が入山されています。近世において、尼僧では伊勢・慶光院、熱田・誓願寺とともに日本三上人といわれていましたが、今日では大本願の上人様のみが法灯を継承されております。大勧進の貫主(かんす)と共に善光寺住職を兼ねており、毎朝善光寺本堂で行われるお朝事(お勤め)に出仕されます。
 大本願には、本誓殿・奥書殿・明照殿・表書院・光明閣・寿光殿・宝物館などがあります
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「善光寺外苑西之門」は、「吟醸生酒西之門」と「善光寺みそ長期熟成」の醸造元で善光寺境内に隣接する清酒工場を核とする複合観光施設です。
施設は 「清酒工場」 「酒とみその店よしのや」 「レストランさくら」 「西之門の中庭」からなります。西之門清酒工場は機械化と温度制御により通年醸造が可能となり、一年中しぼりたての生酒を醸造しています。

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by Von-Braun | 2011-09-02 23:12 | 甲信越