高野山へ行きました。
護摩壇山 頂上付近は新雪が積もってました。 南紀から行くにはどうしてもここを越えねば。。。。 ごまさんスカイタワー 頂上への道 今日は俺が初登頂のようす。 テニスシューズなので、前の人がつけた足跡をたどっていきました。ちょっと濡れたけど。。。 頂上の樹氷 雪と影 樹氷 雪にダイブしてみました。 ちょっと高野山を説明 高野山は和歌山県伊都郡高野町。奈良県ではありません。高野山町でもありません。 yahooで検索すると高野町691,000、高野山3,780,000件のヒット数。高野山町にしたほうがええんとちゃう? 高野山 総本山金剛峯寺は元来高野山全体を指す。高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺。 壇場伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂になる。高野山の重要行事のほとんどは、この金堂にて執り行われる。 山内に点在するお寺は、塔頭寺院(たっちゅうじいん)と呼ぶ。弘法大師の徳を慕い、高野山全体を大寺(だいじ 総本山金剛峯寺)に見立て、山内に建てられた小院のこと。現在では117ヶ寺が存在し、そのうち53ヶ寺は宿坊として、高野山を訪れる参詣者へ宿を提供している。 高野町にある世界遺産は 金剛峯寺:遺跡・景観:真言密教の山上修行道場として創建された金剛峯寺の境内地 <伽藍地区> 遺跡:金剛峯寺の創建以来の中心地 金剛峯寺山王院本殿:記念工作物:金剛峯寺の鎮守として勧請された地主神を祀る神社 金剛峯寺不動堂:記念工作物:皇族によって建立された山上祈願所の遺構 <奥院地区> 遺跡・景観:金剛峯寺を創建した僧空海の御陵を中心とする地域 金剛峯寺奥院経蔵:記念工作物:有力武家が母親の供養のために寄進した経典の収蔵庫 佐竹義重霊屋:記念工作物:地方の有力武家の木造霊屋 松平秀康及び同母霊屋:記念工作物:地方の有力武家の石造霊屋 上杉謙信霊屋:記念工作物:地方の有力武家の木造霊屋 <大門地区> 遺跡:金剛峯寺の正門である大門を中心とする地域 金剛峯寺大門:記念工作物:金剛峯寺の正門である巨大な木造二重門 <金剛三昧院地区> 遺跡:有力武家出身の女性が夫と子の山上菩提所として建立した寺院 多宝塔:記念工作物:真言密教の思想を凝縮した多宝塔の発祥の地高野山でも最古の多宝塔 経蔵:記念工作物:日本の伝統的な倉庫形式を保つ経典の収蔵庫 四所明神社本殿:記念工作物:高野山の鎮守を勧請した神社 客殿及び台所:記念工作物:参詣者の応接と宿泊のための建造物 <徳川家霊台地区> 遺跡:徳川幕府の将軍の霊屋を中心とする地域 金剛峯寺徳川家霊台:記念工作物:徳川幕府の初代・二代将軍のための装飾華麗な木造霊屋 <本山地区> 遺跡:金剛峯寺の宗務上の中心地である本坊がある地域 参詣道 小辺路 遺跡・景観 1573以前 高野山と熊野三山を結ぶ参詣道 高野山町石道 遺跡・景観 9C前半 高野山下の慈尊院から高野山奥院に至る参詣道 大門にある和歌山県朝夕陽百選 高野山町石道 【世界遺産】 こうやさん ちょういしみちで区切ります。 聖地高野山への表参道である高野山町石道は、弘法大使が高野山を開山して以来、信仰の道とされてきた。その道しるべとして建てられたのが町石で、高さ3mを越す五輪塔形の石柱が、根本大塔を起点として慈尊院まで180基、弘法大使御廟まで36基建てられている。 九度山の慈尊院(空海の御母堂が住せられた院)から山上西口の大門へ通じる表参道を高野山町石道といい、開山のおり空海が木製の卒塔婆を建てて道標とした道である。 鎌倉時代、朽ちた木にかわり石造り五輪塔形の町石が1町(約109M)ごとに建てられ、36町ごとに里石(4本)が建てられ、20年の歳月をかけて1285年に完成した。町石は空海の生地、讃岐産の花崗岩で高さ3.3Mを使用している。 山上の根本大塔を基点に慈尊院の石段途中を最後に180町石を建て、胎蔵界180尊にあて、さらに大塔から奥の院まで36町石を建て、金剛界37尊とした。 町石は完成後700年間に数度の補修で50基程が再建された以外は創建当時のままで、国の史跡に指定されている。 大門 【世界遺産<大門地区>、重要文化財】 高野山の総門。現在の建物は宝永2年(1705)に再建されたもの。 大門 中門跡と金堂 【世界遺産<伽藍地区>】 金堂 高野山御開創当時は講堂と呼ばれて。平安時代半ばから、高野山の総本堂として重要な役割を果たしている。 現在の建物は7度目の再建で、昭和7年(1932年)に完成しました。梁間23.8メートル、桁行30メートル、高さ23.73メートル、入母屋造りですが、関西近代建築の父といわれる武田五一博士の手によって、耐震耐火を考慮した鉄骨鉄筋コンクリート構造で設計、建立されました。 本尊の薬師如来(秘仏)は、高村光雲によって造立。 中門 金堂の正面手前の一段低い所に、礎石のみを残す中門。五間二階の楼門で、両脇には持国天(じこくてん)像(東)・毘沙門天(びしゃもんてん)像(西)がまつられていましたが、天保14年(1843年)に壇場を襲った大火により、西塔のみを残して、ことごとく消失。 高野山開創1200年記念大法会の記念事業として、中門が再建される予定。 根本大塔 【世界遺産<伽藍地区>】 弘法大師、真然大徳(だいとく)と二代を費やして816年から887年ごろに完成したと伝えられる。弘法大師は、この大塔を真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立したので、根本大塔(こんぽんだいとう)と呼ばれている。多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)、四隅の壁には密教を伝えた八祖(はっそ)像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅(まんだら)として構成されている。 1937年(昭和12年)、空海入定1,100年を記念して再建されたもの。 とにかくデカい!! なんと、高さ48.5m、四方各25m。 東塔 【世界遺産<伽藍地区>】 大治2年(1127年)、白河院の御願によって醍醐三宝院勝覚権僧正によって創建。 天保14年(1843年)に焼失してからしばらくの間再建されず、140年たった昭和59年(1984年)に再建。 三昧堂 【世界遺産<伽藍地区>】 済高座主(870年~942年)が延長7年(929年)に建立されたお堂で、もともと総持院境内にあった。済高師はこのお堂で「理趣三昧」という儀式を執り行っていたため、三昧堂と呼ばれるようになった。 三昧堂の前の桜は、西行法師手植えの桜として、西行桜と呼ばれている。お堂を修造した記念に植えられたという伝承がある。現在の建物は文化13年(1861年)の再建。 御影堂(みえどう) 【世界遺産<伽藍地区>】 もとは、弘法大師の持仏堂として建立されたが、後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられた。 このお堂は高野山で最重要の聖域であり、限られた方しか堂内に入ることは許されなかったが、近年になって旧暦3月21日に執行される「旧正御影供」の前夜、御逮夜法会(おたいやほうえ)の後に外陣への一般参拝が許されるようになった。 天保14年(1843)年、宝蔵の軒下から出火した火災で類焼したのを、嘉永元年(1848)、紀伊大納言(紀州藩第12代藩主徳川 斉彊か?)。が一千両を寄進して再建されたものと伝えられている。 山王院 【世界遺産<伽藍地区>】 山王院は御社の拝殿として建立された、両側面向拝付入母屋造りの建物で、桁行21.3メートル、梁間7.8メートル。 山王院とは地主の神を山王として礼拝する場所の意味であり、現在の建物は文禄3年(1594年)の再建で重要文化財となっている。 鐘楼 【世界遺産<伽藍地区>】 西塔 【世界遺産<伽藍地区>】 弘法大師の伽藍建立計画案である『御図記(ごずき)』に基づき、真然大徳によって建立された。その計画とは、大日如来の密教世界を具体的に表現する「法界体性塔」として二基一対として建立するというもの。しかし、諸般の事情により建設が遅れ、仁和2年(886年)に建立された。 西塔では、大塔の本尊が胎蔵大日如来であるのに対し、金剛界大日如来と胎蔵界四仏が奉安されている。現在の塔は、天保5年(1834年)に再建された、擬宝珠(ぎぼし)高欄付多宝塔で、高さは27.27メートル。 山王院本殿 (御社、明神社) 【世界遺産<伽藍地区>、重要文化財】 弘法大師が弘仁10年(819年)に山麓の天野社から地主神として勧請し、高野山の鎮守とした。社殿は三つあり、一宮は丹生(にう)明神、二宮は高野明神、三宮は十二王子・百二十伴神がまつられている。 丹生、高野明神社の構造形式は春日造で、総社は三間社流見世棚造(さんげんしゃながれみせだなづくり)と呼ばれ、どちらも檜皮葺の屋根で仕上げられている。現在の社殿は文禄3年(1594年)の再建で重要文化財に指定されている。 遺跡として世界遺産に登録されている伽藍地区の中でも、記念工作物として登録されているのは2件。1件がこの山王院本殿。 しかしパンフレットには明神社、金剛峰寺のホームページには御社として記載されているのでご注意を!! 六角経蔵 【世界遺産<伽藍地区>】 鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙に金泥で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵。 現在の建物は昭和9年(1934年)2月に再建されたもの。経蔵の基壇付近のところに把手がついており、回すことができるようになっています。この部分は回転するようにできており、一回りすれば一切経を一通り読誦した功徳が得るといわれている。 不動堂 【世界遺産<伽藍地区>、国宝】 伽藍地区で、記念工作物として登録されているもう1件。 建久8年(1197年)、鳥羽上皇の皇女である八條女院内親王が発願し、行勝上人によって建立された。もともと一心院谷(現在の金輪塔<きんりんとう>所在地付近)に建てられていたが、後世になって伽藍へ移築されました。 現在の建物は14世紀前半に再建されたもの。お堂の四隅はすべて形が違い、四人の工匠がそれぞれの随意に造ったためと伝えられている。当初は阿弥陀堂であったと推定されているが、後に不動明王を本尊とし、八大童子が奉安された。この八大童子は運慶の作として有名で、現在は霊宝館に収められている。 不動堂 蓮池と善女竜王社 勧学院の前に位置するこの池は蓮池と呼ばれている。昭和の頃までは美しい蓮が咲き誇っていた。 この池には小さな祠がまつられている。明和年間のこと、干ばつが度々起こり、民衆は苦しんだ。そこで明和8年(1771年)、瑞相院慈光が善女竜王像と仏舎利を寄進し、蓮池の中島に小さな祠を建立しておまつりしたところ、たちまちに霊験が現れたとのこと。
by von-braun
| 2008-03-09 00:51
| 和歌山
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