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三千院
寂光院の次は三千院。

三千院のイメージは野原にたたずむお寺というイメージ(飛鳥寺みたいに)だったのですが、山手にありました。
道路標識があまりないので、下において歩くと結構な距離。道は狭いですがかなり近くまで車でいけます。
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コスモスと茅葺屋根の家三千院_c0119036_1205733.jpg三千院
梶井三千院門跡とあります。門の跡ではありません。
三千院は天台宗の寺院。山号は、魚山、本尊は薬師瑠璃光如来、開基は最澄。
もと円融院(円融房)または円徳院といった。
梨本房、梶井門跡とも称し、妙法院、青蓮院、毘沙門堂、曼殊院とともに天台宗五門跡の一つ。788年(延暦7)伝教大師最澄が比叡山根本中堂を創建したとき、東塔南谷の梨の大木の下に仮堂をつくったのが始まりと伝える。860年(貞観2)承雲が堂塔を整備して梨本門流の一寺となる。1086年(応徳3)には山麓の東坂本梶井里(現大津市)に御願寺円徳院が設けられて、東塔の本坊円融坊に対する里坊とされた。堀河天皇の第2皇子最雲法親王が皇族入寺の初めで、1130年(大治5)第14世となり梶井の宮と称した。その後、承任(18世)、尊快(20世)、尊覚(21世)、最仁(22世)らの法親王の入寺が続き、門跡寺院となった。1156年(保元1)大原寺(大原の来迎院、勝村院などの総称)を管轄することになり、魚山の声明を統管し、現在の地大原に政所を設置した。鎌倉時代、里坊は東坂本から京都に移され転々としたが、応仁の乱で船岡山にあった堂舎が焼失したのち、大原に移った。徳川綱吉は寺領1064石を寄せ、現上京区梶井に里坊をつくった。明治4年、大原政所が本殿と定められ、寺号も三千院となった。

門跡とは一門一派の法跡の意で、元来は、祖師から弟子へと継承されていく宗門の教えの伝統のことを、またその伝統の継承者のことをいった。しかし、899年(昌泰2)に宇多上皇が出家して法皇となり仁和寺に入ってからは、後世にこれを御門跡と称したために、法皇や法親王が住持したり開創した寺院、またその住持を御門跡または門主とよぶようになった。のちには皇族だけでなく貴族についても公卿門跡ができ、室町時代には、門跡という語はこうした皇族・貴族のかかわる特定寺院の格式を表す語となった。室町幕府は門跡奉行を置いて門跡寺院の政務をつかさどり、江戸幕府は門跡を宮門跡、摂家門跡、清華門跡、准門跡に区別してこれを制度化した。


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御殿門
城ではないです。寺です。
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客殿
三千院は、珍しく受付を済ませるとすぐに建物に入ります。
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客殿から聚碧園
客殿を介して広がる庭園。京都市指定名勝
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円融房手前から聚碧園と客殿
三千院_c0119036_1215819.jpg宸殿からの往生極楽院
極楽院(現往生極楽院)は元来、天台の門跡とは無関係。
12世紀末に、高松中納言藤原実衡の妻である真如房尼が、亡き夫の菩提のために建立した。1871年(明治4年)に三千院の本坊が洛中から移転してきてからは、その境内に取り込まれた。極楽院を「往生極楽院」と改称したのは1885年(明治18年)。

宸殿からは再び靴を履いて庭に出ます。

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有清園
宸殿前に広がる庭園。青苔にスギ、ヒノキ、ヒバなどの立木が並び、見るものをして心の安らぎを与えてくれる。。
宸殿より往生極楽院に通ずるこの広い庭園は、その名の通り清らかな自然に抱かれている。
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往生極楽院は国指定重要文化財
三千院_c0119036_12218100.jpg阿弥陀三尊坐像【国宝】
往生極楽院の本尊。脇侍の勢至菩薩像像内の銘文から平安時代末期の1148年(久安4年)の作とわかる。阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊が西方極楽浄土から亡者を迎えに来る(来迎)形式の像で、両脇侍が日本式の正座をしている点が特色である。2002年に国宝に指定されている。

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有清園
ほんのり色づいている木も。
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往生極楽院正面
宸殿から見えるのは裏。
三千院_c0119036_123676.jpgわらべ地蔵

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三千院_c0119036_123206.jpg弁財天

三千院_c0119036_1232765.jpg弁財天
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金色不動堂
三千院の祈願道場として、平成元年四月建立されました。
本尊は、智証大師御作と伝えられる金色不動明王で、秘仏となっています。
護摩の火は、煩悩を焼き尽くし、魔を降伏させる炎であるといわれています。
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紫蘇茶をよばれました。金粉入りですが、無料です。
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観音堂
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本格的な紅葉はまだまだ先。
三千院_c0119036_124468.jpg石仏
鎌倉時代中期の石仏で、俗に「大原の石仏」といわれ、京都近郊でも大きさや、よく整った形が注目されています。高さは2.25メートルの単弁の蓮華座上に結跏跌座(けっかふざ)する、定印阿弥陀如来で、おそらく「欣求浄土」(ごんぐじょうど)を願ったこの地の念仏行者たちによって作られたもので、往時の浄土信仰を物語る貴重な遺物です。
売炭翁とは炭の生産販売に従事する人々のことをいい、このあたり一帯は小野山の中腹に位置し、昔は炭を焼く炭竈があった所から売炭翁旧跡と伝えられています。

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三千院_c0119036_1241652.jpg朱雀門
往生極楽院の南側にある朱塗りの小さな門で、その昔、極楽院を本堂としていた頃の正門にあたります。
藤原期の様式とも言われていますが、江戸時代に再建されたものです。

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往生極楽院三千院_c0119036_1243690.jpg往生極楽院

三千院_c0119036_1244262.jpg木造救世観音半跏像
【重要文化財】
飛鳥時代に聖徳太子によって創建された四天王寺の当初の本尊像を模したもの。三千院門主は四天王寺別当を兼ねることになっており、その関係から三千院に伝わると思われる。

三千院_c0119036_1244993.jpgはんなり京梅酒

裏を見ると。。。。。。

三千院_c0119036_1245512.jpg和歌山産の完熟南高梅を使用。

みなさん買ってあげてください。

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大原の風景をお楽しみください。
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茅葺屋根の茶屋
土曜日なのに閉まっていました。
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寂光院の方向
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ガソリンスタンドの屋根もいい雰囲気
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三千院_c0119036_1261248.jpg抹茶とバニラのソフトクリーム
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by von-braun | 2009-10-03 02:37 | 近畿
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