中宮寺
所在 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北 山号 法興山 宗派 聖徳宗 本尊 (伝)如意輪観音 拝観料 500円 中宮寺は聖徳太子の御母穴穂部間人皇后の御願によって、太子の宮居斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建された寺です。 その旧地は、現中宮寺の東方三丁の所に土壇として残っていたのを、先年発掘調査したところ、南に塔、北に金堂を配した四天王寺式配置伽藍であったことが確認され、それは丁度法隆寺旧地若草伽藍が四天王寺式であるのに応ずるものと云えるでしょう。しかもその出土古瓦は若草伽藍にはなく、飛鳥の向原寺(桜井尼寺)からのものと同系統のものであることから、法隆寺は僧寺、中宮寺は尼寺として初めから計画されたものと思われます。国宝菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)は其の金堂の本尊であり、天寿国曼荼羅は、其の講堂本尊薬師如来像の背面に奉安されたものと伝えられています。 その後、平安時代には寺運衰退して、宝物の主なものは法隆寺に移され、僅かに草堂一宇を残して本尊のみ居ますと云った状態でした。鎌倉時代に入って信如比丘尼の尽力により、天寿国曼荼羅繍帳を法隆寺宝蔵内に発見して中宮寺に取り戻すなど、いくらか復興を見たものの、往時の盛大には比すべくもありませんでした。その後度々火災に会い衰微し、無住となりました。 なお、その後殆ど寺観を留めず、大部分の佛像をはじめ鐘楼などが法隆寺に移管されました。そして室町時代の天文年間には、後伏見天皇八世伏見宮貞敦親王皇女、慈覚院宮尊智女王(慶長7年薨)が御住職遊ばされる事になり、取り敢えず法隆寺東院の山内子院を拝借し、旧地の伽藍石を庭に配し、整備し、次第に寺観を整えたのではないかと思われます。以来尼門跡寺院としての法統が今日迄伝えられています。 宗派は鎌倉時代頃は法相宗でしたが、その後真言宗泉湧寺派に属し、戦後派法隆寺を総本山とする聖徳宗に合流することになりましたが、依然大和三門尼寺の随一としてその伝統を伝えています。 国宝の木造菩薩半跏像 (伝如意輪観音)はこの本堂で観ることができます。 東洋美術における「考える像」で有名な、思惟半跏のこの像は、飛鳥時代の彫刻の最高傑作であると同時に、わが国美術史上、あるいは東洋上代芸術を語る場合にも欠かすことの出来ない地位を占める仏像であります。また国際美術史学者間では、この像のお顔の優しさを評して、数少い「古典的微笑」(アルカイックスマイル)の典型として評価され、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作モナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれています。 次は榮山寺 にほんブログ村
by von-braun
| 2009-05-23 15:20
| 近畿
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