法隆寺 2009.5.15
いよいよ法隆寺です。

5:45 ホテル発 273km
6:20 法隆寺着 300km


法隆寺(斑鳩寺)
所在地 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
宗派 聖徳宗
寺格 総本山
本尊 釈迦如来

駐車料 500円
拝観料1000円

c0119036_21222685.jpg
西円堂前より西院伽藍の五重塔と金堂
c0119036_21215326.jpg
東院伽藍の夢殿

法隆寺には建造物では18の国宝、29の重要文化財があり、これら47件の文化財が世界遺産法隆寺地域の仏教建造物として登録されている。もちろん記念工作物として。


法隆寺詳細を見たい方は、下の法隆寺探索記をクリック

次は法起寺

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村




いよいよ今回の旅のメイン法隆寺です。

5:45分 ホテル発 273km

火曜日までの天気予報では水曜日が雨で14日(木)、15日(金)晴れ、週末がくずれるとの予報。それでこの日程を組んだのに、木曜日(14日)の天気予報では明日(金)午後からくずれるとのこと。いい加減にせえよ!!
しかし、来てしまったものは仕方がない。天気が悪いなりに満喫するしかない。

天理から西名阪に乗るつもりが、天理東まで行ってしまった。しかも25号線(天理から西が西名阪、天理から東は25号線)を三重方面にはいってしまった。ちゃんと標識つけんかい!!
五ヶ谷で降りて、再度25号線に乗る。天理で西名阪に入り、法隆寺で降りる。そのまま北上して法隆寺着。
6:20着、300km。

さてさて、どうしようか?
なんせ拝観時間は8:00からですから。

まずは周りからせめよう。
c0119036_213782.jpg
南大門 国宝①
室町時代
法隆寺の玄関にあたる「南大門」は、創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し、永享10年(1438)に現在の門が再建。
三間一戸の八脚門で、単層入母屋造。東大寺南大門(奈良県奈良市)・東照宮陽明門・日暮門(栃木県日光市)とともに、日本3大門のうちの1つ。

c0119036_21431912.jpg
西院大垣 重要文化財①西面
西院を囲む塀です。とりあえず大垣に沿って西へいくと、山にぶつかってしまった。山へ登るのはやめて、東のほうへ行くことにする。
c0119036_2146270.jpg
西院大垣 東面
c0119036_2147011.jpg
東大門 国宝②
奈良時代
珍しい三棟造りの大門で、奈良時代に建立され、奈良時代を代表する建物の1つである東大門は、西院と東院の間に建ち、「中ノ門」ともよばれてる。この門は、切妻造、本瓦葺で奈良時代八脚門の典型的な形式の山門である。三間一戸の八脚門で、天平時代のものとしては、他に東大寺の転害門があるだけ。
この左の車、邪魔だった。11時過ぎまでおったけどず~っと置きっぱなし。邪魔やねん!!
c0119036_21483753.jpg
宗源寺四脚門 重要文化財②
東院伽藍にも入れないのでそのまま天満池の方に上って行く。
c0119036_2151421.jpg
斑鳩神社
法隆寺の北東の天満山に位置し、菅原道真を祀る。法隆寺鎮守4社の1つで寺の鬼門の守護神

ここから引き返す。
c0119036_21545187.jpg
おっと7時過ぎですが東大門が開いている。どうやら、西院の境内には入れるようだ。

南大門に写真撮影禁止と書いてあったので遠慮がちに撮影。
後で聞いたら、建築物は撮影OK。仏像などは不可とのこと。

c0119036_21565928.jpg
東大門から西院境内
左側が西院東南隅子院築地で重要文化財③
c0119036_21582243.jpg
中門 国宝③
飛鳥時代
西院伽藍への入口である中門は深く覆いかぶさる軒、その下の組物や勾欄、それを支えるエンタシスの柱、いずれも飛鳥建築の特色を持つ建築物。
エンタシスとは中央にふくらみをもつ柱で、古代ギリシャローマ建築の影響を受けたものと一般的には言われている。
中門がある西院伽藍は天智9年(670)に若草伽藍が全焼した後に場所を変えて建てられたと考えられており、金堂、五重塔、中門の順に建立されたと考えられている。
また、この中門は門の両脇に我が国最古の金剛力士像が配置されている事から仁王門とも呼ばれている。
c0119036_2211535.jpg
網封蔵 国宝④平安時代
平安時代の初期に建立された寺宝を保管するための南北9間の両端各3間にそれぞれ蔵を設け、中央の3間が吹き抜けになっている蔵で、双蔵(ならびくら)と呼ばれる様式の建物。またエンタシスの床柱など奈良時代の特色をみることも出来る。
現在ここの宝物は、大宝蔵殿などへ移されている。
c0119036_2293420.jpg
細殿(左)と食堂
細殿 重要文化財④

食堂 国宝⑤
奈良時代>
天平時代に建立された現存日本最古の食堂で、もともと政所という法隆寺の寺務所だったが、平安時代に入り僧が食事をする場所として使われた。
細殿と軒を接してこのように二つの建物を並べて建てるのを、双堂といい、奈良時代の様式である。
c0119036_22134536.jpg
東室 国宝⑥
左手前が聖霊院、奥が東室。左が妻室
c0119036_22171761.jpg
妻室 重要文化財⑤
c0119036_22185955.jpg
三経院及び西室 国宝⑦
手前側が三経院、奥が西室
c0119036_059148.jpg
三経院
鎌倉時代
聖徳太子が勝鬘経・維摩経・法華経の三つの経典を注釈されたこと(三経義疏)にちなんで、西室の南端部を改造して建てられた。
創建時代の建物は焼失したため現在の建物は1231年(鎌倉時代)に再建されたもの。
三経とは、法華経・維摩経・勝鬘経で現在も毎年、夏安居の3ヶ月間(5月16日~8月15日)に講義を行っている。

東室・西室
奈良時代
西院伽藍の東西それぞれに、東室・西室という南北に長い建物がある。
東室は東に位置する僧房で、法隆寺に住む僧が生活していた建物。
天平時代東室は大房と呼ばれ、僧が寝泊まりし、東室の東側にある妻室は小子房と呼ばれその従者が寝泊まりしていたもの。
c0119036_22235884.jpg
西円堂 国宝⑧
鎌倉時代
八角形をした西円堂は奈良時代、聖徳太子の3夫人の1人橘夫人の発願により行基菩薩によって、創建されたと伝えられているが、現在の建物は、1250年(建長二年)に再建されたもの。
俗に「峰の薬師」と呼ばれる本尊薬師如来座像が安置され、耳病によく効くというので、錐(きり)を納める風習が今日に伝わっている。
薬師信仰は、日本の民俗信仰の発展と共に、特に西円堂の「峯の薬師」に集中せられて今日に至っている。
また毎年、2月1日から3日間、国家の安泰と五穀豊穣を祈願して修二会という儀式が行われ、3日の結願の夜に節分の豆まきの原点とも言われる鬼追い式が行われる。
西円堂の東側にある鐘楼は、時を知らす鐘で、現在8時・10時・12時・2時・4時にその数だけ撞かれている。

ちょうど鐘が鳴りました。8時の鐘です。西院伽藍に行きます。

c0119036_2227410.jpg五重塔 国宝⑨
飛鳥時代
高さ約31.5m(基檀上より)で、我が国最古の五重塔として知られ2重基檀の上に建ち、各重の平面と屋根の大きさは逓減率が大きく、また、5重目の柱間は初重の半分になっている為、非常に均整のとれた、安定した美しい印象を与えている。

c0119036_22272164.jpg五重塔は釈尊の遺骨(仏舎利)を泰安するための塔だが、塔の原形はインドのストゥーパーで、日本に伝わる途中、中国で楼閣の形になった。
また、最下層内陣には、奈良時代初期に造られた塑像群があり、地下1.5mに埋められた大理石の上部には舎利奉納孔があるが、本当に仏舎利があったのかは謎。同様に、相輪に掛かっている鎌は法隆寺の七不思議の一つとして様々な説があり謎とされている。近年、この五重塔の心柱の伐採が594年であることが、年輪年代測定法により判明し、日本書紀の記述にある天智9年(670年)の火災以降に再建されたという、再建論に一石を投じる形となった。

c0119036_22275117.jpg五重の塔の相輪の下に、長さ2mにもおよぶ大鎌が4丁ついている。(相輪の高さは10m)。
この鎌は聖徳太子の怨霊封じのためという説もあるが、落雷防止を祈願するもので、雷の魔物が塔に降りようとするのを防ぐためのものとされている。これは中国古来の五行が関係し、五行では世の全てのものは、木火土金水の五つに属し雷は「木」、鎌は「金」とされる。そして金は木に勝ることから鎌がかかっていると考えられる。またこの鎌が上向きに見えたらその年は米が豊作で、下向きに見えれば凶作であるともいわれている。
法隆寺の七不思議

c0119036_22282576.jpg
金堂と五重塔
c0119036_22284535.jpg
金堂 国宝⑩
飛鳥時代
法隆寺のご本尊を安置している殿堂が金堂。
四方に階段を付けた二重の基檀に立つ二層づくりであるこの金堂は、柱上に横材が何段も井桁に組まれているもので、飛鳥時代の特徴的な建造物。
また、金銅釈迦三尊像をはじめ、諸像が安置されているほか、天井には、天人と鳳凰が飛び交う天蓋が吊るされ、周囲の壁面には、世界的に有名な飛天図が描かれている。
世界的にも知られていた12面の壁画ですが、昭和の大修理の最中の昭和24年(1949)1月26日朝に火災につつまれ、あらかた焼失した。
現在は昭和42年に14名の日本画家の手によって再現された壁画が白壁を埋めている。
c0119036_2229228.jpg雲斗・雲肘木
金堂の軒下の組物は雲のような曲線でできた独特の形。

c0119036_22294310.jpg
廻廊 国宝⑪東側
奈良時代
回廊は東側の鐘楼、中央の大講堂、西側の経蔵につながり、西院伽藍を形造っている。
また西側より東側のほうが一間だけ長くなっているのは、金堂と五重塔のバランスを考慮したものだと考えられている。
c0119036_22295373.jpg
廻廊 西側
ギリシャのパルテノン神殿で有名なエンタシス式の柱とは、柱の下部から上部にかけて少しずつ細くなるか、柱の途中までは同じ太さで途中から上部にかけて細くなるという形をしている。
柱がいくつも並んで建てられる際に寸胴な柱を並べると背景色によって中央部がへこんで見えるという目の錯覚が起こります。この錯覚をさける効果と力学的に優れている構造であるため柱にふくらみを持たせている。
法隆寺の金堂や回廊の柱もエンタシス式の柱とされているが、法隆寺の柱は中央部よりすこし下が一番ふくれており、ギリシャのエンタシス式の柱とは少し異なります。このエンタシスの柱は建造後に削られて今の形になったと昭和修理の調査調から判明しており、下から見た際、柱がまっすぐに見えるよう錯覚を考慮にいれて今の形にしたと思われる。
また、ギリシャから日本へエンタシス式の柱が伝わってきているならば、その途中の国でも見られるはずだが、実際には見られないことからも、日本の柱は独自の文化で作り出された形状ではないかという説もある。
c0119036_22301844.jpg
鐘楼 国宝⑫
平安時代
吊されている鐘は白鳳時代のものだが、建物は延長3年(925)に落雷によって焼失し、現在の鐘楼は経蔵の様式にならって再建されたもの。
昔は時間の告知のために鐘をついていましたが、今では年中行事のみに使われている。
c0119036_22303040.jpg
経蔵 国宝⑬
奈良時代
経典を納める施設として奈良時代に建立された。楼造で、壁面に見える二重虹梁(こうりょう)と、その受けの蟇股(かえるまた)の架構が良く整っている。
現在は、天文や地理学を日本に伝えたという百済の学僧、観勒僧正像(平安時代)が安置されているほか、三伏蔵(他は金堂内と大湯屋前)の一つがあり、法隆寺を再興できるほどの宝物が収められていると伝えてられている。
c0119036_223122.jpg
大講堂 国宝⑭
平安時代
仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立さた。
大講堂の両脇には、経蔵と鐘楼があります。これは古代寺院の様式で、大講堂に並んで経蔵・鐘楼が並存するのは法隆寺だけ。
本尊の薬師三尊像及び四天王像もその時に作られている。
c0119036_22311796.jpg
大講堂 正面から
また、垂木勾配を緩くしたままにするため、日本独特の屋根の上に屋根を設けるという形式の屋根では現存最古もの。
鐘楼とともに正暦元年(990)には再建された。
c0119036_22314333.jpg
中門 伽藍内から
c0119036_22315755.jpg
中門
中門には金剛力士像がある。
国指定文化財等データベースによると名称は塑造金剛力士立像(吽形躰部木造)

c0119036_22322375.jpg金剛力士立像 阿形像
中門に向って左。 重要文化財

c0119036_22323322.jpg金剛力士立像 吽形像 向って右。 重要文化財
吽形像の体は木造。

東院へ

c0119036_23575229.jpg
東院大垣 重要文化財⑥
c0119036_01465.jpg
東院礼堂 重要文化財⑦
c0119036_031883.jpg
東院絵殿及び舎利殿 重要文化財⑧
c0119036_044338.jpg
東院廻廊 重要文化財⑨
c0119036_054673.jpg
夢殿 国宝⑮
奈良時代
聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に、聖徳太子の住まいであった斑鳩の宮跡に、行信僧都という高僧が建てた伽藍を上宮王院(東院伽藍)といい、その中心となる八角円堂の建物が夢殿。
四方に扉が設けてあり、瓦ぶきの屋根は創建当時のものです。夢殿の名前の由来は太子が夢の中で金人(仏)に出会ったという伝説から名づけられたとも言われ、「三宝絵詞」「日本往来極楽記」「今昔物語」に出てくる記録によると、聖徳太子が禅定をして夢を見るための聖所を記念したものとされているが、夢殿は643年蘇我入鹿によって焼かれ、現在ある夢殿は天平時代の建立。
c0119036_084798.jpg
東院鐘楼 国宝⑯
鎌倉時代
三間二間の楼造で、一階に腰板を張って軸部を見えなくした袴腰という形式 。内部に「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊されている事から中宮寺より移されたものと言われている。
舎利殿の舎利を奉出する時や、東院伽藍で法要が営まれる時の合図として撞かれる。
ちなみに、この鐘楼の横を北側に進み東に折れると中宮寺です。
c0119036_0113650.jpg
北室院表門 重要文化財⑩
c0119036_0123471.jpg
北室院本堂 重要文化財⑪
c0119036_0132525.jpg
北室院太子殿 重要文化財⑫
c0119036_0142326.jpg
伝法堂 国宝⑰
奈良時代
739年(天平11)聖武天皇夫人の橘古那加智の住居を施入したもので、東院の講堂にあたる。
床を張った現存最古の建物で、桁行き三間、梁行き四間の壁と扉で閉ざされた部分桁行き二間の開放的な部分、そして広い簀子敷と三つの空間からなり、床を上げ、土間から切り離す事によって、土間と違った領域を空間化している古代平地住居の形式をとっている。
また、空間を仕切るものとして壁と扉しかなく、内部に間仕切りの無かったことも特色である。
c0119036_0164139.jpg
東院四脚門 重要文化財⑬
c0119036_0165226.jpg
東院南門 重要文化財⑭
c0119036_0184692.jpg
律学院 重要文化財⑮

東院も見終わったので大宝蔵院へ。
西院伽藍と東院伽藍、大宝蔵院の共通拝観料が1000円です。
c0119036_0193648.jpg
大宝蔵院へ行く途中再度網封蔵を撮影。
c0119036_0233181.jpg
上御堂 重要文化財⑯
現在は近くまで行くことができない。
c0119036_0331889.jpg
食堂を裏側から
c0119036_03485.jpg
聖霊院 国宝⑱
聖霊院
鎌倉時代
1121年(保安2年)、東室の南側の一部を改造したもので、現在の建物は1284年(鎌倉時代)に改築された寝殿造りの建物。
法隆寺のご本尊でもある聖徳太子45歳の像のほか太子の長子・山背大兄王や兄弟皇子の殖栗王の像、太子の兄弟皇子・卒末呂王や高句麗僧・恵慈法師の像(いずれも国宝)が祀られ 、毎年行われる、法華経などを中心として太子の遺徳をたたえる法会である「お会式」で公開される。この法要は太子の命日に毎年行われるもので、法隆寺最大の行事。
c0119036_0371375.jpg
西円堂へ
c0119036_0375924.jpg
薬師坊
ここの庫裏が重要文化財⑰

c0119036_0385075.jpg
地蔵堂 重要文化財⑱
c0119036_10381.jpg
宝珠院本堂 重要文化財⑲
c0119036_111185.jpg
中院本堂 重要文化財⑳
c0119036_115388.jpg
大湯屋表門 重要文化財(21)
c0119036_125576.jpg
大湯屋 重要文化財(22)
c0119036_145860.jpg

右 西園院新堂 重要文化財(23)
左 西園院客殿 重要文化財(24)
塀 西院西南隅子院築地 重要文化財(25) 

c0119036_184039.jpg
西園院唐門 重要文化財(26)
c0119036_185373.jpg
西園院上土門 重要文化財(27)
c0119036_1104171.jpg
南大門前の鯛石
南大門の階段の下に魚の形をした石が地面に埋め込まれている。この石には、どんなに大雨が降ってもこの石の位置よりも水位が上がらないということから、魚(水)はここまでまでしか来ないという意味が込められている。
法隆寺七不思議

c0119036_112268.jpg説明版がないので良く分かりませんが、この辺まで昔境内が広がってたのでしょうか。

c0119036_1134188.jpg法隆寺はず~と先にあります。

法隆寺iセンターで自転車を借りる。1時間200円

法起寺に向けて出発。


c0119036_1135510.jpg今まで行った寺院周辺では見かけませんでしたが、ここにおったかせんとくん。
まあ、どういいつくろっても冒涜してますわな。

c0119036_114335.jpg
再度東院に自転車を留め写真におさめてなかった重要文化財を。
左 福園院本堂 重要文化財(28)
右 旧富貴寺羅漢堂(29)

[PR]
by von-braun | 2009-05-20 22:56 | 近畿
<< 法起寺 2009.5.15 山邊道勾岡上陵(崇神天皇陵) ... >>