4月13日
世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道の一つ国立公園でもあり、桜の名所でもあり、南朝の拠点でもあった吉野へ行って参りました。 15,6年ぶりかな。秋か冬に泊まったことがありますが、次は春にくるぞ!と思い定めて十余年。やっと来れました。 朝3:16に家を出て和歌山インターを4:09に通過。24号線で4:53橋本市橋本1丁目に到着。4:59五条に入り5:29吉野到着。150kmで2時間13分か。和歌山から結構時間かかった。 5:30 展望台に人盛りがあったので降りて写真をとりました。 車が通行止めになるまでに、一番山奥の金峯神社に行かなければ。。。。 本日の目標は桜もさることながら、世界遺産の登録資産を全部回ること。 ちなみにネットの情報では下千本、中千本は散り始め、上千本、奥千本は14日が見頃。天気は本日午前中は晴れ、14日は雨。 吉野山【遺跡・景観】はひとまず達成。【 】内は世界遺産の登録種別です。 【記念工作物 国宝】 5:36 電線は地中に埋めましょう。おまけに、店の日よけの鉄の梁が邪魔です。もっと景観に気を使ったほうが良いのに。。。 【遺跡】 5:53 祭神は吉野山の地主神、金山毘古命。中世以降は修験道の修行場で、藤原道長も祈願したと『栄華物語』に記されています。国宝・藤原道長の経筒を収蔵(京都国立博物館に寄託)。境内左の坂道を3分ほど下ると、義経が弁慶らと隠れた義経隠れ塔があります。 ※車で登っていくと、三叉路に鳥居があります。そこに駐車し、坂道を300m登ったんですが、横の道路を登っていくと駐車場があり、隠れ塔を通って100m足らずで金峯神社に着きます。 一旦車にもどり奥千本を探したのですが車では行けず。。。。。 調べてみれば西行庵のところが奥千本らしい。(涙。。。) 隠れ塔近くの駐車場に車を置き、再度金峯神社へ。 そこから西行庵を目指し登って生きます。分かれ道で比較的広い左の道へ。 いけども、いけども西行庵に着かず。500mはゆうに歩いている。道標もあっているのですが距離が書いていない。かなり歩いてようやく到着。 6:31 西行がしばらく隠棲したといわれる西行庵があります。付近は奥千本で桜のころはもとより新緑、紅葉がとても美しい、らしいです。 どうやら分かれ道で右へ行くのが正解だったみたい。時間を大幅にロスしてるやん。 6:32 到底千本はありません。100本もない気が。。。。。。 駐車場にもどり車で上千本を目指します。右手に目的の吉野水分神社を見、駐車場を探しながらちょっと下ると駐車場がありました。 6:53 そこからの景色は絶景でした。下、中にもっと桜が残っていれば。。。。。 望遠忘れちゃいました。トホホ。。。 【遺跡】 7:01 開門を待つか、車を下に置き歩いて登ってくるか、思案の結果後者を選択。 7:14 中央が金峯山寺蔵王堂 7:37 分かります?最初の展望台です。この下の吉野山下千本駐車場に駐車しました。協力金含め1500円也。たけ~! 協力するから電線埋めろ!! 7:43 金峯山寺の総門。木造の門で、黒く塗られていることからこの名がついた。 さすがにこの時間は人が少ないか。。。。 【記念工作物 重文】 7:46 黒門からの急坂を登りつめたところにあります。高さ約7.5m、柱の周囲約3.3m、すべて銅製。1348(正平3)年に高師直の兵火で焼失したあと、室町時代に再建されたものです。正しくは発心門。山上ヶ岳までの間に発心・修行・等覚・妙覚の四門があり、これが最初の門です。行者たちはここから向こうを冥土と見たて、ひとつ門をくぐるごとに俗界を離れて修行する決心を強めていきました。 7:49 7:49 銅の鳥居から200m余り。三間一戸、人母屋造り、本瓦葺の楼門で、門前町本通りのつきあたり、右段の上に建っています。1456(康正2)年に再建されたもの。南向きの本堂が山上ヶ岳からの巡礼を迎えるのに対し、この門は北を向いています。大阪や京都から逆峯入りする信者を迎えるためです。 しかし、電線じゃまやなあ 【記念工作物 国宝】 7:56 金峯山の高台にそびえたつ、東大寺大仏殿に次ぐ木造の大建築。現在の本堂は1592(天正20)年に再建された、室町末期を代表する建造物です。正面5間、側面6間、建物の周りに藻腰を付けた入母屋造り、桧皮葺。高さが約34mもあるので、吉野を巡る折々にその威風を見ることができます。本尊として3体の蔵王権現像をまつり、中尊の高さは7m余りの巨像。堂内は内陣と礼堂からなり、松やチャンチン(ツツジの一種)など自然木を素材のまま使った柱68本が林立するさまは豪壮です。また、内陣の2本の金箔張りの化粧柱や須弥壇は太閤秀吉が花見の際に寄進したものといわれ、桃山建築の美しさを残しています。 7:59 1336(延元元)年、吉水院に難を避けられた後醍醐天皇は、次に蔵王堂の西にあった実城寺を皇居とされ、寺号を金輪王寺と改められました。後醍醐天皇は悲運の生涯をここで閉じられましたが、その後、南朝3代の歴史が続きます。徳川時代になり家康は、吉野修験の強大な勢力を恐れて弾圧政策をとり、寺号を没収。もとの実城寺に戻し、直轄の支配下におきました。明治時代になると廃仏毀釈の嵐にのまれて廃寺に。いまは南朝妙法殿が建ち、皇居跡公園として整備されて、後醍醐天皇以下、南朝4帝の歌碑も建っています。 8:00 金峯山寺 【遺跡】 8:04 東南院の開基は役行者と伝えられています。開山の際に、本堂とともに本堂から巽(東南)の方角にあたるこの地に建てられたと伝わります。1684(貞亨元)年、俳人松尾芭蕉がここに滞在したとき、『野晒紀行』に詠んだ句碑が立っています。 左の桜が残っていればキレイだったんですが。。。。 8:06 吉水神社への途上より。 【遺跡】 8:07 もとは吉水院という、金峯山寺の格式高い僧坊でしたが、明治のはじめ、後醍醐天皇、楠木正成、宗伸法印をまつる神社に改められました。吉野へ潜行された後醍醐天皇を、吉野大衆の中でも特に力をもっていた住職、宗信法印がお迎えし、吉水院は一時行宮となります。源義経が静御前や供のものと逃げのびてきたのも、太閤秀吉の花見の本陣となったのもここです。当神社には南朝の古文書や武具、秀吉の花見に使われた楽器など、100点を超える宝物が残っています。また、初期書院造りの傑作といわれる書院建築で、義経潜居の間、後醍醐天皇玉座の間、太閤秀吉花見の間があります。うち、義経の間が室町時代様式で、他は桃山時代以降のもの。 【記念工作物 重文】 8:12 8:13 逆光なのでまた帰りに寄るとするか。 8:16 8:26 吉野山山上へのぼる街道と如意輪寺への分岐にあります。後方の袖振山は、大海人皇子(のちの天武天皇)が社前で琴をかなでられたとき、天女が袖をひるがえして舞ったという伝説で知られています。境内は、義経と別れた静御前が追手に捕えられ、請われて舞いを舞ったといわれる地。社殿は2001(平成13)年に焼失してしまいました。 8:27 8:27 立ち入りは禁止されています。ひょっとして前行ったときに写真撮ってるかも。今度見てみます。別宅にアルバムあるので。 8:30 吉野というとソメイヨシノを創造するかもしれませんが、ほとんどが山桜です。 8:43 8:51 後醍醐天皇が吉野の行宮 におられた五月雨の降り続くある日の事、大勢の供を連れてこの辺りへ御幸されると、空模様がますます怪しくなってきました。かたわらの観音堂に入ってしばらく休むうち、次の歌を詠まれました。 ここはなほ 丹生の社に ほど近し 祈らば晴れよ 五月雨の空 すると急に空が晴わたり、うららかな日和になりました。 それからこれを雨飾観音堂と呼ぶようになりましたが、 明治の神仏分離によって廃されてしまいました。 8:54 9:03 【遺跡】 9:05 1時間半でようやく水分神社に到着。おばちゃんが「みずわけじんじゃ、みずわけじんじゃ」と行っていましたが「みくまりじんじゃ」です。ちゃんと勉強して来いよ。 子守の民家がおわるところにあり、水の分配を司る、天之水分大神を主神としています。“みくまり”が“御子守”となまって俗に子守さんとよばれ、子宝の神として信仰されています。桃山様式のたいへん美しい本殿や楼門・拝殿などからなる神社で、豊臣秀頼の再建。本殿は一間社春日造り、左右の2殿は三間社流造りで、3殿を1棟続きにしてあり、庭を挟んで左に拝殿があります。虹梁・長押など彩色した彫刻が施され、とても華やか。 【記念工作物 重文】 9:22 木造玉依姫命坐像は国宝です。 再び見晴らしの良い駐車場へ。 おっちゃん2人が葉の出た桜を見て「まだ咲いていない」、「もう散った」論争を展開していました。枝を手にして入念に調べて「散ってる」と納得してました。 オイ、オイ。桜も、梅も葉っぱ出てるってことは花はもう散っとんねん! 山桜は葉っぱと花が同時についてるけど、大体花が先やねん。常識やろ。 【遺跡・景観】 9:51 10:05 10:12 明治時代初めに、密乗院跡に再興された修験道の一坊。もとは金峯山寺屈指の塔頭寺院でした。大海人皇子の勅願寺と伝わります。山伏文化の殿堂と言えるほど、宝物が多く残ります 10:20 10:21 10:21 10:22 10:37 10:46 東南院にて 10:52 北の空は曇ってきた。ちょっと早いんちがうか? 11:11 人が増えてきました。 11:13 なぜか高野山真言宗。元金峯山寺末上ノ坊と案内板に書いていました。それがなぜ、高野山真言宗に? 11:24 7時37分にここを発ったので、約4時間歩きっぱなし。さすがに疲れた。 11:33 明治22年明治天皇は後醍醐天皇の偉業を深く偲び、吉野神宮の創立を命じました。明治25年に執り行われた鎮座の際には霊代の奉納と共に、それまで吉水神社に奉安されていた後醍醐天皇の尊像も吉野神宮の本殿に奉還されました。 大鳥居をくぐり、こんもんとした桜やかえでの林をぬけて境内へ入ると、明るく広い台地が目の前に広がります。祭神は後醍醐天皇。摂社は日野資朝、児島高徳など7人の功臣たちをまつっています。社殿は約10年を費やして1932(昭和7)年に改築が完成。古今の神社建築の粋を集めた、総桧造りの見事な建物です。この地は、大塔宮(後醍醐天皇の皇子、護良親王)が吉野に挙兵されたおり、北条幕府方に占拠され本陣になったと伝わるところ。正北面を向く本殿は、京を恋しく思われた後醍醐天皇の心情をうつしたのだといわれています。展望がよく、ここから葛城、金剛の山並みが見渡せます。 11:36 11:39 天気予報より早く曇りました。 11:44 12:00に吉野神宮出発。吉野へ向う車は10kmほど続いていました。こんな時間から来るなよ。そもそも計画がおかしいねん。 24号線の渋滞を避けるため高野口から紀ノ川広域農道に入った。13:51和歌山IC、2:45到着。帰りは2時間45分。往復308kmでした。 橋本通っているときにちょっと気になっていたのです。上手に高架の道路があることが。五条から高野口まで京奈和通じてたのね。ショック。
by Von-Braun
| 2009-04-18 01:03
| 近畿
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