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法起寺 2009.5.15
法隆寺iセンターで自転車を借り、一路法起寺へ。

法起寺
山号 岡本山
宗派 聖徳宗
本尊 十一面観音菩薩
所在 奈良県生駒郡斑鳩町大字岡本

拝観料 300円

法起寺は別名、岡本尼寺、岡本寺、池後寺、池後尼寺と呼ばれています。
この寺は、推古14年(606)に聖徳太子が法華経を講説されたという岡本宮を寺に改めたものと伝えられ、法隆寺、四天王寺、中宮寺などと共に、太子御建立七ヵ寺の一つにかぞえられています。
創建の由来については『聖徳太子伝私記』に記録する当寺の三重塔にあった露盤銘によって判明します。それによると、推古30年(622)2月22日、聖徳太子はその薨去に臨み、長子の山背大兄王に宮殿(岡本宮)を改めて寺とすることを遺命し、山背大兄王は大倭国田十二町、近江国の田三十町を施入したといわれています。
その後、舒明10年(638)に福亮僧正が聖徳太子のために、弥勒像一躯と金堂を造立し、天武14年 (685)には恵施僧正が宝塔の建立を発願し、慶雲3年(706)3月に塔の露盤を作ったとされています。
この露盤銘に記すように近年境内の発掘調査の結果、前身建物の遺構の一部が確認されており、法起寺の建立以前に岡本宮と見られる宮殿が存在していたことが明らかとなりました。 同時に、中門を入って右に三重塔、左に金堂、中央正面奥に講堂があり、廻廊は中門左右から堂塔を囲み、講堂の左右に接続する様式の伽藍であったと推測されています。
当寺のことは、『正倉院文書』や『日本霊異記』にも見られ、奈良時代には相当栄えていたようですが、平安時代から法隆寺の指揮下に入り、寺運も徐々に哀微しましたが、鎌倉時代には講堂や三重塔が修復されています。しかし、室町時代に再び衰え、江戸時代のはじめごろには三重塔のみを残すのみであったといわれています。
その荒廃を憂い、当寺の再興を発願した寺僧の真政圓忍とその弟子たちは、延宝6年(1678)に三重塔を修復しました。それ以降も、寺僧たちの努力によって浄財を集め、元禄7(1694)年に講堂を再建、文久3年(1863)に聖天堂を建立し、現在の寺観が整えられています。
明治維新後は、本寺法隆寺とともに真言宗の所管となりましたが、明治15(1882)年法隆寺が興福寺とともに法相宗に独立したのにともない、法相宗の小本山となった。
しかし、昭和25(1950)年、法隆寺が聖徳宗を開宗したため、当寺も聖徳宗の本山の一つになっている。
昭和471972)年には三重塔の解体修理に着手し、50年に完成したのに続いて、53年には講堂の修理を行い、57年には重要文化財の十一面観音菩薩像を安置する収蔵庫を新設しています。

法起寺 2009.5.15_c0119036_22214339.jpg
こちらにも世界遺産法隆寺地域の仏教建造物の一角を占める建造物があります。

法起寺 2009.5.15_c0119036_2222320.jpg国宝にして世界遺産三重塔
日本最古にして最大の三重塔です。


法起寺 2009.5.15_c0119036_22222177.jpg
境内の様子
聖天堂(左)と講堂
法起寺 2009.5.15_c0119036_22223648.jpg本尊 木造十一面観音菩薩立像 重要文化財

法起寺 2009.5.15_c0119036_22225173.jpg
国宝、世界遺産登録物件がある寺だが、荒れている。
受付の方に尋ねると、法隆寺から少し離れているのと、駐車場がない、バスも近くまで来られないことなどから、それほど観光客は来ないとのこと。
法起寺 2009.5.15_c0119036_2223245.jpg
庫裏

近所のおばあちゃんに声をかけました。若い子やおばちゃんは苦手やけどおばあちゃんは得意!

聞き取った内容は、
法起寺には住職がいない。檀家もない。寺の行事などは法隆寺から僧侶がやってきて執り行う。管理は法隆寺がしている。などなど

おばあちゃんに、「法隆寺ももうちょっと法起寺も整備したらいいのにね」というと、笑っていた。

ちなみに法起寺のURLはhttp://www.horyuji.or.jp/hokiji.htmです。
法起寺 2009.5.15_c0119036_2223134.jpg
法起寺遠景

ところで法起寺、昔は「ほっきじ」と読んでいたが、世界遺産登録時に「ほうりゅうじ」「ほっきじ」の法の字に一貫性がほしいとのことで「ほうきじ」になったらしい。

ちょっと待て、そんなしょうもないことで名前をかえるのか?

別に一貫性は必要ないやろ。法隆寺が聖徳宗を開く前の宗派、法相宗は「ほっそうしゅう」やろ。法の字を「ほっ」って読んでるやん。

和歌山県の橋本市には隅田八幡神社(すだはちまんじんじゃ)がある。国宝の人物画像鏡を所蔵する由緒のある神社なのだが、所在地が橋本市隅田町。この隅田町(すだちょう)がくせもの。
橋本市は大阪のベッドタウンとして人口が増加し、ほぼ半分が旧市街以外に住む新住民。この新住民、隅田(すだ)を「すみだ」と読んでしまう。隅田川の「すみだ」のほうがなじみがふかいんでしょうね。

それに対する橋本市の対応がおかしい。

正しい読み方を周知するのがあたりまえじゃないでしょうか?失敗したのかも知れませんが。。。。。 

しかし。。。。。
隅田(すだ)小学校の児童はすみだっ子と称している。 
隅田地区公民館(すだちくこうみんかん)にはすみだホールがある。
橋本市立すみだ保育園なるものまである。隅田町(すだちょう)に。
あきれて開いた口がふさがらない。
歴史のある地名ですよ。新住民が「すみだ」と間違うからといって迎合する必要があるのでしょうか?

ちょっと論点が違うかもしれないが、ようするに歴史を大事にしろっていうこと。

一貫性がないや読みにくい、読み間違うといった理由で簡単に名前を変えるな!!


次は中宮寺


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by von-braun | 2009-05-23 00:10 | 近畿
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